信長の茶

日記

茶道

湯を沸かし、茶を点て、茶を振る舞う行為、伝統になり今でも芸道として受け継がれている

茶の湯のはじまり

茶は平安時代(西暦794~)に唐(中国)からの遣唐使から伝わり、その後日ノ本は戦乱に度々巻き込まれ茶は一度忘れられてしまい貴族のみが嗜むものになり、その後再び鎌倉時代(1185~)には日ノ本に抹茶の製法(茶の栽培から飲み方全般)が伝わり茶がさらに広まる事となる。

因みに茶色と言えば茶色だが、いわゆる日本茶抹茶緑色、では何故茶色茶色と言うのか?

それは平安時代に最初に入って来た茶が発酵茶であり、今で知るところの烏龍茶紅茶の色を茶色と呼んでいたからである。

基、

武士階級には1214年、僧侶栄西が鎌倉3代将軍源実朝様に「喫茶養生記」を献上したことから始まる当時は、武士の間で茶会が行われたり、薬として使われていたりしていたが、産地などを嗅ぎ分ける賭け事「闘茶」が大流行してしまい茶会を武家法にて禁じられるほどに、、、、。

そして日ノ本は応仁の乱が起き、戦乱の渦に。やがて茶会を行う状況も無くなる。

茶は侘茶へ

その最中、一人の茶聖が現る、その名は村田 珠光(1422~1502)(むらたじゅこう)  茶会での飲酒や博打を禁止し亭主(迎える側)と客との精神交流を重視する茶会のあり方を説いた、これがいわゆる、侘茶の源流となり、堺の町衆 武野紹鴎(1502~1555)(たけのじょうおう)侘茶を更に磨き完成させていく、そして武野の弟子には田中与四郎という男がいた

後の千利休(1522~1599)である。

その千宗易(利休)が儂に仕えて我が政策「御茶湯御政道」の許、侘茶を大成させていく事となる。

侘茶=茶道?

我等の時代(1550~)にはまだ茶道と言う言葉はなかったように思える、例えば儂に仕えた千宗易(利休)はこれを「侘茶」「数奇道」などと言っており、他には茶の道とも言った。

主客の一体感を旨とし、茶碗など茶道具や茶室、床の間の掛物、花等、全体空間を演出し、その過ごす時間までも芸術として構成していく

それら茶の湯を江戸時代の元禄年間(1688年あたり)に「茶道」と総称されて現在の茶道となったようである。

信長、茶を習う

「御茶湯御政道」を行い、特定の家臣だけに茶の湯を許可していた儂も茶の湯をやらなくなり久しいそこで儂も現代の茶の湯を知るべく茶道を習ってみようと思ふ

興味はあるが茶道を習うには敷居が高い!緊張する!または、これから習いたい!、といふ者はともに茶道について学ぼう

目標

先ずの目標は名古屋城にて亭主信長による茶会の開催である。

儂と供に茶の湯を楽しもうではないか

茶道を習う際に用意する物

  1. 帛紗(ふくさ)
  2. 菓子切り
  3. 懐紙
  4. 茶道用扇子

これさえあれば茶を習いに行けるそうじゃ。

帛紗

(図の紫布)茶道においては、茶道具を拭い清め、器物を扱う際に使用する、縦9寸横9寸5分の布

冠婚葬祭に使われる袱紗(ふくさ)とは大きさや用途が異なる

菓子切り

文字通り菓子を扱う道具、菓子切り入れも共に持つがよかろう。

木で作られた菓子切りを黒文字(くろもんじ、くろもじ)とも呼ばれたりするがそれは我が家臣でもあり利休の弟子でもあった古田織部(1544~1615)がクロモジの木を使った菓子切りを使用し、更にクロモジの木には香りに魔よけの効果があるとされ多くの者に広まったとか

今ではプラスチック、木、金属、象牙等々で作られておるが、儂は安価で光沢もよいプラスチックで十分じゃ、400年前に此れがあったれば大流行間違いなしである。

懐紙

携帯用和紙である。古くから平安時代からある懐紙、拭く、書く、敷くなんでも御座れの万能品、チャンバラの後に刀を拭いてばら撒く紙も懐紙である、江戸の侍は皆あのようなことをしておったのか??

茶道おいては、盆から菓子を受け取る際や、一つの茶碗にて回し飲む際飲み口を拭ったり致す

扇子

茶道用の6.5寸から5寸の小ぶりな扇子、これらは扇ぐ道具ではなく作法としての道具である

自分と相手との結界(柵)を現すとも言われており相手への敬いを現し挨拶の際に膝前に置き使う

今では流派によって使われる扇子が少し違うようじゃ

  • 表千家 6.5寸 黒塗り
  • 裏千家 5寸 白竹

いざ稽古 まとめ

以上4点を揃え稽古に向かうとしよう。

儂の師範は裏千家のようじゃ、表千家と裏千家、中々面白い、、何故それに至ったか次回調べよう

じゃが今の情勢では稽古も難しいようじゃ、今のうちに皆も近くや、通いやすい教室を探しておくと良い

儂もまた追って稽古状況を伝えよう

そして我等はいつでも名古屋城で待っておるぞ     信長

 

 

 

 

 

 

コメント

  1. 智美 より:

    おはようございます。
    日記更新、ありがとうございます。
    そうです、茶道と聞くと「作法が…」と
    尻込みしてしまいます。
    興味はあるのに(;´д`)
    丁寧に信長様が教えてくだされば、どうにかこうにか形になるでしょうか…。
    信長様のお茶会、ぜひ!開催を!!
    それでは本日も佳き1日をお過ごしください。

  2. 相州姥桜 より:

    信長様、お早うございます。
    一度は武家で禁止されていたお茶。現代の茶道の発展は信長様のお陰と言えなくもない、ということで御座いますね!
    『のぶさんぽ』でも時々、古田織部殿のお話をされておいでの信長様が解説して下さる茶道入門、とても楽しみです。学ばせて下さいませ!

  3. なまえつけてほしい より:

    信長様
    おはようございます。
    茶道、懐かしいです。学生時代に習ってました。卒業以来全くご無沙汰ですが。笑
    武将隊でも何度かお茶会に出席されてましたね。
    武将様方と茶の湯は縁が深いので、ぜひ信長様主催のお茶会を開いて下さいませ。
    名古屋城には猿面茶席もありますし、
    二の丸で野点なんていかがでしょうか?
    毎年、秀吉様にお茶会を催してほしいとお願いしているのですが、なかなか叶えていただけてません。
    なので、信長様どうかお願いします!
    楽しみにしていますね。

  4. りーくん より:

    信長様
    こんにちは、お疲れ様でございます。

    文章にマーカーや赤線が
    引いてあって、
    なんだか授業みたいです(笑)。

    茶道には全く触れたことがないので
    決まったお道具が必要なことも
    知りませんでした。

    信長は池坊さんと華道コラボを
    されたことがあったので、
    茶道も何かしらの御縁があると
    いいですね。

  5. 瀬戸物なつ より:

    お茶いいですよね。

    お城やお庭を見学に行くと大体お抹茶がいただける所があるので、大抵お茶をいただいて行くのですが、「お気軽にどうぞ」と言われてもお気軽な空気じゃなかったり、亭主さんがちゃんと居たりして焦る事が意外とあるので、最低限習った方がいいのかなぁ〜と最近考えております…(´-ω-`)

    信長さまのお茶会参加してみたいですが、確実に緊張してお茶の味が分からなくなりそうです(^_^;)

  6. みなみ より:

    信長様のお茶の道連載始まりましたね!
    今回もアンダーラインや塗りつぶし付きでテストに出るところもばっちりわかります!笑 茶色の謎が解けました。なるほど、烏龍茶や紅茶の色なんですね。

    茶道といえば、かつて武将隊でも犬山で茶会をやったり、コラボ陶磁器(美濃焼)の販売もあったりと触れる機会は僅かながらありましたが、懐紙も会場で用意してもらい、わたしはただ正座してお抹茶をいただく程度でした。
    2年程前に、やっとかめ文化祭で名古屋城内で有楽流茶会があり、信長様もゲスト参加されてましたよね。あの時にお作法が全くわからず周りの人を見様見真似でやり過ごしてしまったことがあったので、お作法勉強したいです。勉強して来たる亭主信長様による茶会に備えたいと思います!

    また続報を楽しみにしております。

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