「戦国小和田さんぽ 小和田哲男先生と歩く家康路」と題して
Youtubeにて桶狭間のお様子をお二人が紹介してくれているでござる。
興味のある方は是非是非みてくだされ!
徳川家康の一大転機となった「 桶狭間の戦い 」。
その舞台は現在の名古屋市緑区の桶狭間地区・大高地区になります。兵糧入れの大高道を歩きながら、
歴史研究家の小和田哲男先生に桶狭間の戦い、大高城兵糧入れ、そして家康について解説していただきました!
若干19歳の松平元康(徳川家康)が兵糧入れに使った大高道。
桶狭間から大高へ向かう道のりは古道の雰囲気を手ごろに味わえます。
一間(1.8m)ほどの道幅に迫る木々、桶狭間と大高を分ける峠から、かつては伊勢湾と岸辺の大高城を見ることができました。
戦いと人生の困難に立ち向かった松平元康。その心中を想いながら歩いてみてください。
とのこと動画を観てから同じ道を歩いてみるのもいいでござるな!
秋の行楽シーズンに戦国ロマンをおたのしみくだされー。
コメント
「戦国小和田さんぽ 小和田哲男先生と歩く家康路」の間違い!【箇所】
伝令(犬丸)さんへ
20:37 頃: 外から見た大手門跡との画面の説明は、大きな間違い!
正確には、お寺さんの墓地の上に見える二ノ丸の東南東の土塁です。
23:24 頃: 城山八幡社と画面で説明されてますが、、、「大高城跡イラスト図」では「八幡宮」となっており、どちらかが間違い!なのですが、、、
市教委の見解は、「城山八幡社」が正解!との事、市教委に確認ください。
24:49 頃: 赤字と赤矢印で「丸根砦」と明示される位置が、かなり違っています。
・この位置は、大高城の外郭にあたると考えられる字東大高畑の「津島社」の杜です。
・「丸根砦」は、画面 左手の白い色のマンション(セントクレスト大高)の右手、後方の こんもりとした森です。
09:43 頃:桶狭間神明社の大高道図
09:49 頃:YouTubeの大高道図
、、、上記の二つの大高道図で、最後に大高城址の土塁に登る道の描き方が全く異なるのに、少し違和感を覚えます。
〇 神明社の図は、一般の見学者に認識されている「史跡 大高城 跡」の碑へ至るルートと、、、
〇 20:31 頃:「この後ろが大手門跡」と説明された場所に至るルートと、、、
二つの異なる描かれ方(最後に大高城に登るルートの違い!)があるのは、良く理解できますが、、、
「この後ろが大手門跡」と説明された場所に至る大手門への登坂ルートは江戸期に造られた遺構と証明されており、、、「桶狭間の戦い」の「大高城兵糧入れ」では物理的に絶対に!使えません!
これ以外にも、指摘箇所や疑問点が多すぎます。この情報の不正確さで公開されるのは如何なモノかなぁ~と思ったしだいです。
「大高歴史の会」の山口さんが、最終確認されて後の公開なら大問題!です。