【唐突に始まる家康問答!】
趣旨
徳川家康である
さあさ、皆の者よ
此度も我がしたためし書をよく読んでくれた
みなとこの電子日記帳にてやりとりができることを心から嬉しく思う
皆が健やかに日々を過ごせる事を祈っておる
前問答の答え
問:織田家の人質のとき、儂徳川家康は重い病気にかかってしまったのじゃが、乳母の「お松」の懸命な祈りと看病によって命をとりとめた
このときの「お松」の行動を表わしているのはどれであろうか
答:四、神仏に自分が身代りになることを誓って絶食し、儂が元気に回復すると自害した
お松は儂徳川家康の乳母で、人質時代の幼い儂にも付添って養育をしてくれておった
尾張の織田家に人質に送られてから、儂はほうそう(天然痘)にかかってしまったのじゃ
重体となり、生死の境をさまよう幼い儂を救うため、お松は自分が儂の身代わりになることを熱田明神に誓い、三十七日絶食し祈り続けた
そのかいあってか、儂は一命をとりとめることができたのじゃ
そして
儂の快復を見とどけると、お松は明神に感謝して命を断ったのである
。。。
問答
問:天文十八年(1549)、岡崎に戻った儂徳川家康は、今度は今川家の人質として駿府に送られたが、駿府で儂を養育した女性はだれであろうか
一、母・於大
二、於大の母•源応尼(華陽院)
三、広忠の後妻・真喜姫
四、今川義元の妻・定恵院(じょうけいいん)
。。。
では答えは次回の発表であるぞ。心待ちにせよ。
家康
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