又左趣記 説異聞 第一節

日記

又左趣記 説異聞

前田又左衛門記し候

此処では又左趣記としてこの多趣味武将こと前田又左衛門利家が

「手記」ではなく「趣記」として

馬物語、武具録、説異聞、霊日記の四つの章に分け

普段ではあまり知り得ない知識を記して参る

説異聞とは

又左趣記 説異聞では

この隻眼説、切支丹説等、現世において様々な諸説を囁かれる

儂、前田利家が世界中に蔓延る様々な説について紹介して参る

源義経、成吉思汗、同一説

これは現代日ノ本においてかなり人気な説であると共に信じておるものが意外と多い説じゃと思う

源氏の英雄である源九郎義経公と

モンゴル帝国の祖、チンギスハーンが同一人物であるというものじゃ

それでは、なぜこのような説が出来上がるのか話をする前に

この二人がどの様な人物かを簡単に説する

源九郎義経

源義経公と言えば多くのものが一度は名前を耳にしたことも有るであろう日ノ本の英雄の代表格だが

何をしたか知らぬと言う者も多かろう

源義朝が九男、牛若丸として京の鞍馬寺に預けられた彼は、己の出自を知り、寺を出奔する

武蔵坊弁慶との一騎討ちもこの辺りじゃ

その後、名を義経と改め、兄である頼朝の下へと馳せ参じる

持ち前の武芸と革新的な戦手腕にて平家を次々と打ち破り、人々から囃し立てられるも

自らが主と崇めた頼朝によって命を追われることとなり、最後は奥州衣川にてその生を終えたとされる

成吉思汗

チンギスハーン、チンギスカン等と呼ばれ

歴史上最大級の領土を誇った国であるモンゴル帝国を築いた人物じゃ

彼はモンゴルの草原に産まれ、遊牧民として育ったとされ

成人すると瞬く間にモンゴルの諸部族を纏め上げると

騎馬民族の強みを生かし諸国を征服していき、その領土はアジア圏のみに留まらず

西ヨーロッパ迄に及び欧州諸国を脅かすと共に、世界中の文化に多大な影響を与えた

なぜ同一人物と考えられるのか

ではなぜ、この産まれた国も文化圏もが違う二人の英雄が同一人物と考えられているのか

年代が近い

これは、義経公が亡くなったとされる西暦1189年の後頃から

チンギスハーンが部族を纏め上げ、諸国の侵略に乗り出している事から

二人の生きていた年代はとても近く

義経公が衣川での敗戦の際、単身大陸へと渡ったのではないかと考えられている

戦法、武芸の共通点

チンギスハーンといえば上記の通り騎馬民族を率いていたことで有名じゃが

義経公もまた、馬を用いた戦術で多くの戦を勝利で納めている

さらに、チンギスハーンが得意としていたとされる長弓はモンゴル周辺や中華等、大陸においてあまり使われることがなく

むしろ日ノ本の主戦力武器であった点から日ノ本の文化をよく知る人物ではないかとされている

呼び名の酷似点

チンギスハーンは親しい者から「クロー」と呼ばれる事があり

義経公も源「九郎」義経と称していたことから

同一人物なのではないかと想像がつくわけじゃ

まとめ

以上の事からこの源義経がチンギスハーン説は・・・

多少のこじつけはあるが絶対に無いとも言い切れないと思われる

まぁ、歴史における説を信じる信じないはあくまでも個人の自由であり

歴史を楽しむにあたり、大切な部分でもあるでな

皆も様々な想像を膨らませながら歴史という物語を楽しんで貰いたい

此にて仕舞いじゃ!

前田又左衛門利家

 

コメント

  1. りーくん より:

    利家様
    おはようございます。

    源義経公とチンギスハンの関係性、
    面白かったです。
    歴史を完全に紐解くのは難しく、
    多少のこじつけやゆとりを含んだほうが
    ワクワクしますよね。

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