【唐突に始まる家康問答!】
趣旨
さあさ、皆の者よ
此度も我がしたためし書をよく読んでくれた
今までは、大河を祝し我が人生にまつわる問答をもとに繰り広げておったが
皆の要望もあり、続けることとなった
故に、これよりも我が人生を通じて主らの生きる手助けになれば幸甚である!
前問答の答え
問:中山道を関ヶ原に急ぐ徳川秀忠軍は、信州・上田城で足止めされ、結果的に天下分け目の合戦に遅れ、儂徳川家康の怒りを買うこととなる
この時、秀忠をかばい、責任は秀忠の補佐役である自分にあると主張し、儂と秀忠の仲をとりもった徳川四天王の一人はだれであろうか
答:三、榊原康政
関ヶ原の合戦後、大津城にいた儂徳川家康が、弁明に訪れた秀忠と三日たっても会おうとしなかった時、儂と秀忠が不仲になっては、徳川家は内部から崩壊すると榊原康政は考えたのじゃ
関ヶ原の合戦に遅れた全責任は自分にあるとして譲らない康政の態度から、儂は康政の真意を汲み取り、秀忠と翌朝、対面を果たすことになったのである
秀忠は康政に大いに感謝し、子々孫々まで恩を忘れないという書状を与えたのじゃ
。。。
問答
問:知勇兼備にして最も人品高しと儂徳川家康に評された徳川四天王の一人はだれであろうか
一、井伊直政
二、酒井忠次
三、榊原康政
四、本多忠勝
。。。
では答えは次回の発表であるぞ。心待ちにせよ。
家康
コメント
直垂 久々でございます。
問答の方は直政様か康政様かと思うのですが、今回の答えが康政様であったため
一、井伊直政 様としてみます。
名古屋まつりももう今月ですね。
今年もあと3ヶ月かと思うと焦りを生じます。
家康様は今年中にしておきたいことは何かありますか?