織田家臣団30人毎日紹介 〜明智光秀編〜

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皆の衆、こんばんはじゃ!
豊臣秀吉である!

儂、豊臣秀吉が織田家臣団30人を毎日紹介する日記帳
此度は明智光秀殿について紹介して参る!

光秀殿の概要

明智光秀殿は、
美濃国土岐の生まれじゃと言われておるのだが、
この現世ではあまり生まれた記述が残ってないが故に
この生まれに関してはあまり触れないようにして置こうと思う。

光秀殿は最初、美濃国の斎藤家に伯父である明智光安様と共に仕えておったのじゃが、
斎藤道三様斎藤義龍殿の内紛により、光安様は命を落とし、
居城であった明智城も落城してしまった。

その際に三十路手前の光秀殿は自身が生まれ育った国を追われ、
流浪の身となってしまわれたのじゃ。

じゃが、その後、越前国の朝倉義景様に仕えることになるのじゃが、
その前に足利義輝様に仕えておったとの噂も儂は聞いておるが、
それは本人に聞いてみると良いかもしれぬ。

朝倉義景様に仕えた際に、光秀殿は足利義昭様の上洛に向けて奔走することとなったのじゃ。
その折に出会ったのが、信長様であった。

ここから光秀殿は信長様の家臣と朝倉義景様の家臣を兼任することとなったのじゃが、
信長様が朝倉義景様及び朝倉氏を滅ぼすと、
織田家臣の一員となったのである。

織田家臣団の1人となった光秀殿は
長篠の戦いや天王寺の戦い、有岡城の戦いなど多くの戦にて武功をあげ、
信長様の重臣として名を馳せていった。

そんな信長様に忠誠を誓っておった光秀殿じゃったが、
儂の中国攻めの援軍に向かう振りを装い、本能寺にて信長様に対し謀反を起こしたのじゃ。

その理由は信長様に対する怨恨説室町幕府再興説など、
多くの理由が言われておるが、それは本人しか分からぬこと。

故に儂もこのことに関してはあまり触れられぬのじゃが、儂は、幕府再興の話を推しておきたい。

儂が見ておった光秀殿は、信長様に対して怨恨を抱くようなお方ではなかった。

しかし、信長様を自害に追い込んだのは事実

その後、光秀殿は儂との戦である山崎の戦いにて敗れ、その逃げておる最中に落ち武者狩りに遭遇し命を落とされたと、聞いておる。

よく「3日天下」と言われておるが、
実は信長様を討ち取り、命を落とすまで「11日」あったのじゃ。

光秀殿を秀吉が褒める

光秀殿は

信長様を討ち取った逆賊」と言われ、この現世でもあまり良くない評判がある。

じゃが、信長様は光秀殿の能力を理解しておって
朝廷や他の大名たちの接待をほとんど任せていた程。

故にもし光秀殿が信長様を討たなければ、
光秀殿は儂と共に並ぶ有名な武将となっていたのかもしれぬ。

まとめ

さて此度の日記帳は以上になる!

大河絵巻の主人公となり、近年、さらに研究も進み、逆賊の地位を払拭させておる光秀殿。
また光秀殿についてたくさん調べて見るのも良いかもしれぬな。
(光秀殿もこの現世に蘇っておるで、話を聞きに行くのも良いかもな)

次回は滝川一益殿について紹介致す!

コメント

  1. ウゾウムゾウ より:

    太閤殿下、こんばんは。
    本日もお疲れ様にございました。

    日記帳もページ数が進み、だんだんとお名前がよく知られた武将様が登場するようになってきたように感じます。
    その名前の有名さに反して、謎も多い光秀様について殿下はどう語られるのかな、と気になっていましたが
    しっかり語るべきところに線を引き、光秀様のお心を推し量るのではなく、確かな功績について語る……という、ある意味同僚(同じ家の家臣)だったというリアルな視点で書かれているように感じました。

    後世の人間が謎が謎であることを逆手にとって、あれこれ想像するという語り口もありますが、殿下の冷静な眼差しはある意味光秀様という“個人”を尊重する優しささえ感じます。

    本日も素晴らしい文章をありがとうございます。
    今日は殊更暑い日でしたが、まだまだ気温が高い日は続きます。どうぞ一層お身体にご自愛してお過ごしくださいませ。

  2. より:

    秀吉様おはようございます

    なんてタイムリーなお方がご登場
    大河ドラマ見た後に見るとより伝わります。
    これで岐阜城の光秀様に会いに行けば完璧?

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