織田家臣団30人毎日紹介 〜堀秀政編〜

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皆の衆、こんばんはじゃ!
豊臣秀吉である!

儂、豊臣秀吉が織田家臣団30人を毎日紹介する日記帳
此度は堀秀政について紹介して参る!

秀政の概要

堀秀政は、
天文22年(1553年)に斎藤道三様の家臣である堀秀長殿の嫡男として美濃国で生まれた者である。
幼い頃は僧となっておった伯父の堀掃部太夫殿の元で育てられたんじゃ。

最初は織田家臣団の大津長昌殿に仕え、その後に木下秀吉時代の儂に仕えながら、
信長様の小姓としても取り立てられたのである。
さらには齢16にて、室町幕府15代将軍である足利義昭様の仮住まいであった本圀寺の普請奉行を担うなど、信長様の側近としての地位も確立したのじゃ。

また秀政は織田軍の主要な戦いにも多く参陣しており、紀伊の雑賀討伐では信長様の本陣から離れ、儂と佐久間信盛殿と共に隊を率いておる。
信長様亡き後は儂にまた仕え、北ノ庄城攻め長久手の戦い小田原征伐などの戦にも参陣しておる。

しかしながら、小田原を攻めておった際に、
疫病を患ってしまったが為、陣中で急死をしてしまうんじゃ。

享年38であった。

秀政を秀吉が褒める

秀政は儂の若い頃を良く知っている者。
先程紹介した通り、儂の若い時に仕えとるでね。
故に、儂も秀政のことをどえりゃあ知っとる。

秀政は「統治の名人」との異名を持っておる。
何故、この異名を持っておるかと言うと、

誰とも知らぬ者からの諫言であっても、それが適正な内容であれば素直に受け入れ、すぐに施政の見直しができる賢明な秀政は、もしも日本全体の政治を担うことになっても失敗することはないだろうと、そのように世の人々から思われたからなのじゃ。

秀政は信長様にとっても、儂にとってめ大切な存在だったのである。

まとめ

さて此度の日記帳は以上である!
秀政もまた最初に紹介した蘭丸殿と同じで美少年の逸話が残ってるでね。
もし気になった者は秀政について沢山調べて見てちょうよ。

次回は金森長近について紹介致す!

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