【唐突に始まる家康問答!】
趣旨
徳川家康である
さあさ、皆の者よ
此度も我がしたためし書をよく読んでくれた
みなとこの電子日記帳にてやりとりができることを心から嬉しく思う
皆が健やかに日々を過ごせる事を祈っておる
前問答の答え
問:慶長三年(1598)、第二次朝鮮出兵中に秀吉殿が亡くなり、儂徳川家康は、朝鮮で戦っていた兵をどうしたであろうか
答:二、すぐに引きあげさせた
秀吉殿没後、儂徳川家康の最大の懸案が朝鮮侵略の後始末であった
早急な撤兵が必要となったのじゃが、この時の派兵は総数十四万人を超え、
混乱回避のため秀吉殿の死は秘密にされ、
朝鮮従軍の諸将には作戦変更による撤退とだけ告げられたのであった
。。。
問答
問:慶長四年(1599)、伏見城にいた儂徳川家康は、戦乱の世を平和に変えるために教育の必要性を思い、あることを始めたのである
あることとは何であろうか
一、武器の回収
二、中国との貿易
三、本の出版
四、小判の鋳造(ちゅうぞう)
。。。
では答えは次回の発表であるぞ。心待ちにせよ。
家康
コメント