新太閤記 〜故郷 中村散策 その2〜

名古屋紹介

皆の衆!
こんばんはじゃ!

豊臣秀吉である!

儂が故郷 中村を紹介する日記帳
此度はその第2弾じゃ!

いざ!参る!

大正時代の遊郭 中村遊郭跡

皆は中村に「遊郭」が存在しておったのを知っておるか?
実は某絵巻物の遊郭の様に、中村にも大正時代に大きな遊郭があったのじゃ。

それが中村遊郭
現在では儂の生誕地中村を巡れる「太閤秀吉功路」の中に含まれておる場所なのじゃが、

下記の写し絵の様に「甲」の形に廓が形成されておった。

遊郭と申すと、

江戸の「吉原遊郭」や京の「島原遊郭」などが有名なのじゃが、
実は明治以降にも日の本各地に遊郭(新地)が形成されており、中村遊郭もその1つなのである!

元々はこの名古屋の地にも、
家康殿や宗春殿が認めし遊郭が存在してたのじゃが、
どれも出現後に禁制策が取られ長くは続かなかったそう。

しかし、時は変わり明治の世。

時の政府であった「明治政府」が「日出町近傍を遊所の区劃と定め」と
ここに名古屋の公に営業を許された公娼が出来上がったのじゃ!

じゃがこれは「中村遊郭」ではなく「旭廓」という遊郭の話。

その後、名古屋の街の都市拡大が進み、風紀上の問題が論ぜられたこと、
遊郭の発展で手狭になってきたことを理由に大正12年(1923年)に中村へと移動してきたのじゃ。

今も残る中村遊郭の痕跡

現在、中村遊郭で営業しておった廓の建物は残っておるものもあれば既に解体が始まり、その跡地には櫓式住宅(現世で言うまんしょんというものらしい)が建っておる。

その中で今だに残っておる廓の建物、そして長年、時代を超え残っておったが解体が始まっておる、または終わっていた建物を今から厳選し、2棟紹介致す。

料亭 稲本

中村遊郭で豪華絢爛の建物と謳われたのが
この「稲本楼」という廓

中村遊郭が誕生した大正12年(1923年)に建てられた廓であり、
また、遊興費が1番高かったとのこと。

廓を畳んだ後は「べんがら亭」という料亭になったが、それも平成21年(2009年)に閉店し、
最終的には平成30年(2018年)の夏頃に解体され、今は新しいでいさーびすの建物が建っておる。

(余談であるが稲本楼の門は愛知県長久手市にあるジブリパーク内の無料地域に
移築復元されておるでね。良かったら見に行ってみてちょうよ!)


現在の稲本楼跡


ジブリパーク内の無料地域にある稲本楼の門


遊郭跡に敷かれてるまんほーるとやらに描かれた稲本楼

旧松岡旅館

「稲本楼」の目の前にあったこの廓は
遊郭時代は「酒井」と言う屋号を掲げておった。

この建物も明確な年数は分かってはおらぬが、大正の時代に建てられており、
廓の営業を終えた後は旅館として営業しておったのじゃ。

その後は健遊館となり、つい最近まで経営を続けておったそうなのじゃが、
儂が訪問した際には建物自体の解体が始まっておった。

健遊館時代には不定期で内部の見学などの催しをしておったそうじゃから、
内部を見れなくなってしまったのは儂としてはどえりゃあ悲しきことである。

(解体中の松岡健遊館)

まとめ

此度の日記帳はこれにて終いじゃ!

中村遊郭跡は「中村日赤駅」から歩いて10分くらいじゃで、
もし中村を散策する際には是非とも立ち寄ってもらいたい史跡じゃ。

次回は「名古屋駅・笹島付近」について紹介して参る!


大門跡の前には「太閤秀吉功路」21番の石碑が置いてあるぞ!

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