【唐突に始まる家康問答!】
趣旨
さあさ、皆の者よ
此度も我がしたためし書をよく読んでくれた
今までは、大河を祝し我が人生にまつわる問答をもとに繰り広げておったが
皆の要望もあり、続けることとなった
故に、これよりも我が人生を通じて主らの生きる手助けになれば幸甚である!
前問答の答え
問:天正十年(1582)、甲斐に侵攻して武田氏を滅ぼし、儂徳川家康と合流した信長殿が、駿河、遠近を通って安土に帰る途中、一人の三河武士を呼び、家臣たちに「この者こそ、花も実も兼ね備えた誉れある勇士である」と紹介した。
信長殿が称えたこの徳川四天王の一人はだれじゃ
答:四、本多忠勝
信長殿や秀吉殿は、ことのほか儂徳川家康の家臣たちを褒めておる
その筆頭はやはり「四天王」じゃが、本多忠勝は特に信長殿からの受けがよく、姉川の合戦で「我が国の張飛(中国の三国時代の蜀の創始者となった「劉備」に従った武将。三国志」に登場する代表的な英雄で人並み外れた武勇で知られる。)」と賞賛されたり、武田氏滅亡後には「花も実も兼ね備えた勇士」と賞賛されたのじゃ
ただ、忠勝の場合は常に全体の動き・状況を見て判断行動するところが顕著であり、将としての能力の高さが賞賛されるべきであろう
。。。
問答
問:伊賀越えのとき、儂徳川家康に同行していなかったのはだれじゃ
一、井伊直政
二、酒井忠次
三、徳川秀忠
四、本多忠勝
。。。
では答えは次回の発表であるぞ。心待ちにせよ。
家康
コメント
大御所様
美しいお花畑にございますな…何処にございましょうか?
さて此度の御下問のお答えにございますが
三、徳川秀忠公にございましょうか?
大御所様最大の危機の伊賀越え…
小説家の伊東潤先生の御著書に「峠越え」と言う小説がございます。
その内に信長様と秀吉様の事を「頭上の漬物石」に例える場面がございました。その例えがあまりにも秀逸だったので、幾度も読み返した事を思い出しました。
本多様でしたか。四天王は他の武将様からも人気ですね。
他所からどのような引き合いがあっても靡かない家臣、
それも家康様の人徳でしょうか?
さて
この度の問答は三、徳川秀忠 様
この頃は秀忠様はまだお若かったのでは?
花畑に風車だけ見ると、愛知県ではないかのような風景ですね。
今の時期は花がいっぱいで、目も癒されます。
家康様
三番 徳川秀忠
で、お願いします。
大河ドラマ、真田丸とどうする家康での「徳川秀忠」像が新鮮で面白かったです。
風車と花と家康様、絵になりますね。
素敵な写真をありがとうございます。