【唐突に始まる家康問答!】
趣旨
さあさ、皆の者よ
此度も我がしたためし書をよく読んでくれた
今までは、大河を祝し我が人生にまつわる問答をもとに繰り広げておったが
皆の要望もあり、続けることとなった
故に、これよりも我が人生を通じて主らの生きる手助けになれば幸甚である!
前問答の答え
問:伊賀越えのとき、儂徳川家康に同行していなかったのはだれじゃ
答:三、徳川秀忠
徳川秀忠は
天正七年(1579)、儂徳川家康の三男として誕生した
長男の信康は秀忠が生まれた年に切腹、次男は秀吉の養子となり結城家を継いだので、三男である秀思が徳川家の嫡男となった
秀忠は関ヶ原の戦いで、上田城攻めに手こずって本戦に遅参したため、儂の怒りを買う事になったのじゃが、榊原康政が間に入ったことにより儂に許されたのじゃ
兄達に比べ武功では敵わないところがあっが、温厚で政務には向いていたようじゃ
慶長八年(1603)に儂徳川家康は征夷大将軍になり、その二年後に将軍職を秀忠に譲って、徳川家が代々政権を引き継いでゆく事を世に示したのであった
。。。
問答
問:天正十三年(1585)、小牧・長久手の合戦後の儂徳川家康と秀吉殿の間の交渉の中で板ばさみになって苦しみ、岡崎から大坂の秀吉殿の元に出て行き、後に松本城主となった重臣の三河武士はだれであろか
一、石川数正
二、大久保忠世
三、平岩親吉
四、渡辺守綱
。。。
では答えは次回の発表であるぞ。心待ちにせよ。
家康
コメント
こんにちは。
紫陽花が綺麗に咲いていますね。
この花もあっという間なんでしょうね、紫陽花は色の移りが早いとのことで
花言葉が移り気とも言われてますね。
しかし、青から紫に変わるあたりの色合いがなんと言えず良きものです。
この度の問答は 一、石川数正 様
去年の大河ドラマ紀行で松本城城主が石川様だったということを初めて知りました。
この方に関してはいろいろな憶測ができますが
石川様ほどのお方、余程の事があってだと思います。
本当のところ、お会いしてお聞きしてみたいものですね。
大御所様
紫陽花が美しく咲いておりますのに、梅雨らしからぬ猛暑が続いておりますが、息災にあらせられる由…祝着至極に存知ます。
さて今回の問答のお答えは一、石川数正様にございましょうか?
その根拠はズバリ大河ドラマ「どうする家康」にございます。
酒井忠次様同様、古参の家臣(家老)として、長い間大御所様を支えて来られたのに何故?
石川様にお目にかかる機会がございますならば、直に問い質しとう存知ました。
尾張も今週末より梅雨入りの由…
大御所様に於かれましても体調等崩されませんよう御自愛下さいませ。
それではこれにてご機嫌よう…
家康様
一番 石川数正
で、お願いします。
去年の大河ドラマで見ました。石川数正様の出奔は、徳川家を護るための出奔だと思いました。少なくともドラマを見た限りでは。
青(緑)紅葉と家康様も絵になりますね。
お写真ありがとうございます。