【唐突に始まる家康問答!】
趣旨
さあさ、皆の者よ
此度も我がしたためし書をよく読んでくれた
今までは、大河を祝し我が人生にまつわる問答をもとに繰り広げておったが
皆の要望もあり、続けることとなった
故に、これよりも我が人生を通じて主らの生きる手助けになれば幸甚である!
前問答の答え
問:儂徳川家康の九男・義直が尾張藩主となると、その付家老として寺部城主(豊田市)となった儂と同年の三河武士で、服部正成の「鬼半蔵」に対し「槍半蔵」と呼ばれた槍の名手はだれじゃ
答:四、渡辺守綱
渡辺守綱の先祖にあっと驚く人物がおる
平安時代中期の武将で、大江山の酒呑童子(しゅてんどうじ)を退治し、京都一条戻り橋で鬼の腕を切り落としたという渡辺綱である
渡辺守綱は儂徳川家康と同じ天文十一年(1542)に額田郡浦部付(岡崎市国正町西浦)で生を受け、
十六歳の時から儂に仕えるようになったのじゃ
熱心な一向宗の門徒であったため、永緑六年(1563)の三河一向一揆には一揆方に付き、一時は勘気を蒙る(こうむ)ところとなったが、赦免(しゃめん)され家督を継いでからは一途に忠勤に励んだ
没年は元和六年(1620)四月で、享年七十九歳と、儂徳川家康より長生きしたのであった
。。。
問答
問:慶長十五年(1610)に病没した本多忠勝が残した遺言書「惣まくり」に書かれている真の侍とは?
一、困難に負けず、いざというときには主君と共に討ち死にできる者
二、普段から武芸の鍛錬を怠らず、戦場で手柄をたてる者
三、いかなるときも礼儀作法を忘れない者
四、日々倹約し、質実剛健を心がける者
。。。
では答えは次回の発表であるぞ。心待ちにせよ。
家康
コメント
大御所様
長かった暑い時期も終わり、ようやく秋めいてまいりましたが
御壮健であらせられる由…祝着至極に存知ます。
さて早速ですが今回の御下問のお答えは
一、困難に負けず、いざと言う時には主君と共に討ち死に出来る者
にございましょうか?
どれも忠勝公らしいのですが、一番忠勝公らしいと思ったので…
では季節の変わり目…体調等崩されませんよう御自愛下さいませ。
ご機嫌よう…
この度の問答もわかりませぬ。
意外と 三、いかなるときも礼儀作法を忘れない者 なのでは?
と思ってしまいました。
もう争い事も減っていたであろう時代ですので。
台湾遠征お疲れ様でした。
何やら櫓があったりと楽しそうですね。
最後の写真は何やら列車と書いてありますので改札口でしょうか?
どこか日本に近い雰囲気があるので、安心しますね。