【 将軍実記〜家康問答〜 】

日記

唐突に始まる家康問答!

 

趣旨

 

徳川家康である

さあさ、皆の者よ

此度も我がしたためし書をよく読んでくれた

みなとこの電子日記帳にてやりとりができることを心から嬉しく思う

皆が健やかに日々を過ごせる事を祈っておる

 

 

 

 

前問答の答え

 

問:慶長十年(1605)、儂徳川家康は三男の秀忠を二代将軍にしたのじゃが、二年で将軍を子供に譲った一番の理由は何であろうか

 

 

答:一、天下の行方を示し、天下を安定させるため

 

 

朝廷は万世一系の家柄。

 

その朝廷から国政を任せられた徳川の血筋が、二代続いて征夷大将軍に任官すれば、征夷大将軍は徳川家の専任と大名たちが認識し、社会は安定に向かうであろう

 

信長殿の実権は、将軍·足利義昭を奉じ入京してから本能寺の変までの十四年間のみ

 

その後を継いだ豊臣政権は秀吉殿が亡くなるまでの十六年間

 

戦国時代から関ヶ原の合戦までの間、庶民が待ち望んだのは心穏やかな平和な暮らしである

 

儂徳川家康はそれを実現させたのじゃ

 

 

。。。

 

 

 

 

 

問答

問:儂徳川家康は将軍を辞したあと、なんと呼ばれるようになったであろうか

 

 

 

 

一、大御所

 

二、黄門

 

三、上皇

 

四、太閤

 

 

 

。。。

 

 

 

 

では答えは次回の発表であるぞ。心待ちにせよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

家康

 

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