【 将軍実記〜家康問答〜 】

日記

唐突に始まる家康問答!

 

趣旨

 

徳川家康である

さあさ、皆の者よ

此度も我がしたためし書をよく読んでくれた

みなとこの電子日記帳にてやりとりができることを心から嬉しく思う

皆が健やかに日々を過ごせる事を祈っておる

 

 

 

 

前問答の答え

 

問:儂徳川家康は将軍を辞したあと、なんと呼ばれるようになったであろうか

 

 

答:一、大御所

 

 

駿府城に退いた儂徳川家康は、江戸の二代将軍・秀忠とともに、実務は新将軍の秀忠が担い、

長期的な政治体制づくりは儂が担当する二元政治を行った

 

駿府城では南光坊天海や金地院崇伝はじめ数多くの知識人と交わり、

日本の将来像を模索しておったのじゃ

 

大御所とは、もともとは隠居した親王の尊称であったが、

鎌倉時代以降は前将軍の尊称として定着し、

江戸時代をとおし、儂以外にも二代・秀忠、八代・吉宗、十一代・家斉が大御所として政治の実権を握っておるのぅ

 

。。。

 

 

 

 

 

問答

問:慶長二十年(1615)大坂夏の陣が終わると、慶長という元号が、儂徳川家康の意向により「平和の始まり」を意味する元号に変わったのじゃが、
その元号とは何であろうか

 

 

 

 

一、享保

 

二、元和

 

三、平和

 

四、泰平

 

 

 

。。。

 

 

 

 

では答えは次回の発表であるぞ。心待ちにせよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

家康

 

コメント

  1. Pちゃんママ より:

    大御所様
    甲冑フル装備にての御出陣
    お疲れ様にございました。
    演武やおもてなしの際の甲冑の金属音を耳にしますと「冬がやって来た」と思うのは私だけ!?
    …とそれは兎も角、本日の御下問のお答えは
    ニ、元和にございましょうか?
    理由は以前大御所様が歴史談話で「元和偃武」と言うお言葉と、その意味を
    お話して下さったからにございます。
    では急激に寒さが増してまいりました。
    大御所様に於かれましても風邪等お召しになりませぬようご自愛下さいませ。
    それではこれにて…ご無礼仕りました。

  2. 善か朗 より:

    こんにちは。
    兜はカッコよろしいですね。
    3人揃うと迫力も増します。

    この度の問答は 二、元和 といたします。

    大御所様とは家康様だけかと思っておりましたが
    その後何人もいらっしゃったのですね。勉強になります。

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