信長の茶
前回は茶人好みの茶碗「一楽二萩三唐津」のうち「二萩」の『萩焼』を紹介した
前田又左衛門利家から萩焼を献上された縁があったが故、萩焼の素晴らしさを知る事となった。
しかしやはり「一楽」も気になる
『楽茶碗』
少し歪みがあり無骨な風体であるが上品な艶、なんとも魅力的な碗ではないか、侘び寂びのきいた「利休好み」のようである。
楽茶碗とは、千利休と親しい陶工『長次郎』と言う男が利休の好みを追求し優れた技術により、黒釉薬をかけた碗を完成させたようじゃ、何故『楽』なのかと申すと秀吉の居城「聚楽第」建設の際に出た粘土を使用した『聚楽焼』が始まりとされておる。
ん?
また儂死んだ後ではないか!?!
道理で聞き馴染みがないと思うたわ、
そして『長次郎』は1589年に早逝してしまうが、その後に秀吉が『楽』の文字をこの陶工の一族に与えた事から『楽焼』となった、しかし秀吉は利休好みの「黒楽」を好まず、「赤楽」という赤い茶碗を重宝したようじゃ
儂は『黒』が好みであるがな
楽焼の特徴は、轆轤(ろくろ)を使わぬ、手捏ね(てづくね)で作られており、わずかな歪みと厚みが特徴的である。
現代でもその人気は高く、まさに『一楽』の名を欲しいままにしておる。
長次郎作の茶碗に現代では3億の値が付くほどである
形づくりは素人でも、出来そうな気もしなくもないが、では非ず。狙っても出せぬ歪み、厚み、暖かみその調和たるや名工の技が光る。
一家に一楽、これ良き哉。
茶道に入門せずとも、茶碗を集める「数奇」もまた良き哉
主も自分の「一碗」を探してみては?
信長
コメント
信長様
おはようございます。
「一楽二萩三唐津」を初めて知りました。
茶器にこのような格付けがあるのですね。
一楽の楽茶碗は
自由で形にとらわれない中にも
品と趣は存在しているのでしょうね。
さすが利休様が愛された茶器。
信長様も戦国の世では出会えなかった御自身の一楽を
現世で見つけることができるといいですね。
三唐津は
信長様が御存命のときすでに存在していた茶器のようで
良かったですね(笑)。
信長様おはよーございまーす!
焼き物に明るくない私も、楽焼は聞いたことあります。聚楽焼が元なんですねー。
さんおく…。
これしまっといて、とか言われたら手が震えそうです…そんな気軽な使い方しないでしょうけど…笑
お茶文化は古い歴史があるのは
わかっていても、まだまだ知らない
ことの方が多いことを信長様のお話で
再確認です😅
3億…その御茶碗でたてられたお茶は
どんなお味なのか。
そんな風に考える自分には詫び寂びの
世界には到底たどり着けない気がします😅
信長様こんにちは。
焼き物といえば、ろくろを使う印象がありますがこの楽焼はろくろを使わず、手で作っているんですね。全体が黒塗りで、趣のある茶碗だなぁと感じました。
3億円…。物凄い歴史的価値のある茶碗だという証ですね。
安易に取り扱い出来ませんね(震)
信長様、今晩はでございます。
楽焼は手捏ね故の味わいが深いお茶碗ですねぇ。
余計な装飾もない、正に利休好みというものでしょうか。信長様お好みの黒、秀吉様が気に入られた赤。どちらも素敵です。
庶民には手が出ないので、観光用の楽焼き体験で我慢(´ε`;)ゞかな。
信長様、こんばんは。
楽焼のご紹介、ありがとうございます!初めて知ったことばかりでした。
さんおくえん…??すごすぎて、それはもうお茶碗としての実用性はあるのかな?とか思ってしまいました。でも信長様の時代では茶器が一国に値するような価値のあるものだったそうなので、それだけの価値も納得ですね。
15代御当主の方が「芸術家」でも「陶芸家」でもなくご自身を「茶碗屋」っておっしゃっているインタビュー動画も拝見しました。450年の伝統を守りつつ、独自の世界を作ろうとなさっているお話でとても興味深かったです。お茶碗を作る方のお話も知るとより茶器も身近に感じられますね。
そして、先日は絆DVD販売の電話受付、お疲れ様でした。信長様のお声聴けて(お元気そうでなによりです😊)嬉しかったです。ありがとうございました。「またの」のお言葉に、名古屋行きたーい!!!ってなりました 笑
信長様の焼き物愛を感じます。
昔一度陶芸をしたことがあったのですが、
腕力がなくて粘土をこねられず(菊練りに憧れました)
ろくろしか回したことなかったので楽焼とても良いですね…!
長次郎さんの一度目にしてみたいです。
我が家に絆のDVDが届きました。
本能寺のシーンがすごくて何度も見ています。