新太閤記 〜名古屋の面白き鉄籠 参 〜

名古屋紹介

皆の衆!
こんばんはじゃ!

豊臣秀吉である!

此度の日記帳は、
「名古屋の面白き鉄籠 その参」を皆に紹介して参ろうと思う!

此度紹介致すのは、「JR東海交通事業 城北線」についてじゃ!!!

JR東海交通事業 城北線とは

JR東海交通事業 城北線。

この正式名称で呼ぶ現世の民はあらぬようじゃわな。

通称の「城北線」と呼ばれることが多いと聞く。

ではこの城北線。
一体どんな鉄籠かと申すと、

「一両の気動車(電気を使わずに走る鉄籠)が高架線を走っている様子を都会で見られる普通線。」

と言った方が分かりやすいわな。

都会とやらから少しだけ離れると、
こういった一両の気動車とやらが行ったり来たりしている様子を見られるのはごく普通。

しかしながら城北線は名古屋を走っておるにも関わらず、
一両の汽車が行ったり来たりしておるのじゃ。

ではなぜこの様な鉄籠が誕生したか、

此度、この日記帳にてまとめて参るぞ。

本来は東海道線と中央線を結ぼうとしておった路線

城北線は名古屋駅の隣にある「枇杷島駅」と「勝川駅」を結んでおる路線。

「枇杷島駅」は東海道本線に所属する駅。
「勝川駅」は中央線に所属する駅として置かれておる。

じゃが実はこの城北線を作ろうとした時には瀬戸の方まで路線を伸ばす計画がされておった。

そして元々はこの路線、
民を乗せる為に作ろうとしたわけではなく荷物を運ぶ「貨物路線」として建設されようとしておった。

これは名古屋駅の隣には「笹島駅」っちゅう貨物駅があったのじゃが、
この駅から荷物を東京方面から大坂方面へ運ぶとなると、一回、稲沢方面に行き、そこからまた名古屋方面に下らなければいけないという
面倒なことが起こる関係で、この城北線を使用しそのまま枇杷島駅を通り、名古屋を通らず東京から大坂に抜けれるようにしたかったっちゅうことじゃな。

故に建設段階では「国鉄瀬戸線」と呼ばれておって、
実は岡崎と高蔵寺を結んでおる「愛知環状鉄道線」もこの国鉄瀬戸線の建設一部だったのじゃ。
(この部分は国鉄岡多線として先に開業致した)

しかし、ここで建設途中の国鉄に大きな変化があった。
そうじゃ。
国鉄は分割民営化をし、現在のJRが生まれたのである。

この段階では城北線はまだ建設途中であったが為に、
鉄道公団っちゅう団体が国鉄に変わり建設をしておったのじゃが、
完成後はJR東海殿に路線運営権が渡され、現在の城北線として開業に至ったのじゃ。

因みにであるが、
この城北線を運営しておる「JR東海交通事業」はJR東海殿の子会社に当たるぞ。

蛇足

この城北線であるが、枇杷島駅から勝川駅まで結んでおると記したが、
実は城北線の勝川駅は中央線の勝川駅より少しだけ離れておる。

じゃが中央線の勝川駅。
行ったことがある者であれば、駅の構図に疑問を抱いた者もおるかもしれん。

この勝川駅。

真ん中に謎の空間がある構図となっておる。

これは一部の者の間では、
将来的にここに城北線を乗り入れさせる為に作った場所なのではないか。

とのこと。

城北線は今でこそ「城北線」として動いているが、
実はJR東海殿は先程記した鉄道公団に借金を返している最中。

作ったのは鉄道公団であるからの。

故にこの返済が2033年頃には終わる見込みであることから、
もしかするとこの時期に何かしらの動きがあるのではないかとも噂されておる。

今後の未来がどえりゃあ楽しみなことでもあるわの。

まとめ

此度の日記帳はこれにて終いじゃ!

まだまだこの名古屋には面白き鉄籠があるが故に、
この日記帳にて紹介して参る所存。

是非とも次回の鉄籠も楽しみにしててちょ!

ではさらばじゃ!

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