新太閤記 〜二ノ丸に存在したある建造物 〜

名古屋紹介

皆の衆!
こんばんはじゃ!

豊臣秀吉である!

此度の日記帳は、
『名古屋城二ノ丸に存在した建造物』
について紹介を致すぞ!

二ノ丸と申すと、
『二ノ丸御殿のことか?』と思うかもしれんが、

今回の建造物は、その次に建てられたものじゃ!

二ノ丸に存在した『陸軍省』の基地

『名古屋城二ノ丸』と申すと、

信長様が居城とされておった『旧那古野城』や
尾張藩主の寝床などがあった『二ノ丸御殿』などが思い浮かぶが、

此度はその時代より、さらに後の時代。
『明治時代』に建てられた『歩兵第六連隊』の基地の話。

今は我らの演武などを行う『二ノ丸広場』となっておるのじゃが、
ここにはかつて愛知県体育館を含めた一帯に陸軍の基地が建っておったのじゃ。

この様な感じじゃな。

、、、ん?

どれがどこなのかがいまいち分からないか?
では儂が分かりやすくこの図面に書き記して参るぞ。

こんな感じじゃ。

『表門』とは現在の名古屋城で言う『二ノ丸 大手二之門(西鉄門ニ之門』
それと対になっておる『裏門』は今の東門から出た先の『東鉄門ニ之門』にあたる。

故に今の面影っちゅうものはこの時点では全くないわな。
既に二ノ丸御殿も破却されておる時代。

全ての敷地が歩兵第六連隊の基地となっておる。

この『歩兵第六連隊』とは名古屋の地に置かれておった『東京鎮台第三分営』が
『名古屋鎮台』に昇格した際に新しく編成された部隊のこと。

此度、儂が紹介するのはその『歩兵第六連隊』に存在した一隊の兵舎。
これが名古屋よりかは離れておるが今もなお尾張の地にて移築保存されておるのじゃ。

 

愛知県犬山市にある『博物館明治村』

ここがこの歩兵第六連隊の『第十中隊』の兵舎を後世に残し、伝えておる。

じゃがここに移築されたのは約七割に切り縮められたもの。
少しばかり二ノ丸にあった時よりかは小さくなっておる。

中に入ると当時の内部を再現しておるらしいぞ。

これは歩兵第六連隊中庭からみた名古屋城とのこと。

この基地は徳川殿の治世が終わった後に最後の尾張藩主である徳川慶勝が
新政府に名古屋城の破却と金鯱の献上を申し出たことから出来たもの。

そんなんじゃわ。

儂もこの話を聞いた時には驚いた。
徳川殿の末裔が、自身の先祖が築いた城を、己が自身で新政府に破却を命じたのじゃ。

命であれば、それは仕方のないこと。
しかしながらこれは自分自身で決めたこと。

その申し出を受け入れた新政府は天守などは破却はしなかったものの、
二ノ丸御殿などの一部の建物、櫓は破却をした。

そしてこの地に『名古屋鎮台』が出来上がったわけなのじゃ、

明治村にある『第十中隊兵舎』とまとめ

今は静かに博物館の展示建造物として後世に伝える為に存在しておるこの建物。

一階部分は当時の内部の再現と土産処として機能し、二階には娯楽施設が併設されておる。

そこでは射的や矢場(弓引き体験)を行うことができるようになっておる。

そしてこの兵舎の横にはなんと、名古屋城の三ノ丸に存在した
「名古屋衛戍病院』も移築されておるんんじゃわ。

二つ並べて名古屋城に関わる建物が移築されておる博物館明治村。
是非とも名古屋観光、愛知県観光をする際に訪れてみてちょ。

また詳しく明治村のことを聞きたければ儂のところにでもきてちょうな。

名古屋城で待っておるでな!

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