この日記帳では、拙者足軽の惣平が、
武将様のような立派なもののふになるべく、
武将様の逸話や名言、「生き様」を皆様に紹介すると同時に、
拙者自身も学んでゆき、少しずつ成長する様子を書き記していきまする。
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現世の冬が来た…!四百年ぶりの冬は懐かしいような、怖いような…。
あいさつ
皆様!
惣菜の惣に平で惣平にございまする!
年末に向けて冬の寒さが強くなって参りましたな…!
なんと、来週は雪が降るかもしれないとのこと!
四百年前は雪が嫌いでしたが、
思い出す白い風景は美しくもあったような気がいたしまする…。
四百年ぶりの雪は、
やはり苦手なままなのか、
意外に懐かしく感じるのか、
はたまた美しく映るのか、
少し、待ち遠しいような気がいたしまする。
そして、年末と言えば
「ゆくとし、くるとし」!
此度の毎月武将隊の題目にもなっておりまする!
今年「ゆくとし」を振り返りつつ、
来年「くるとし」をどのような年にしたいかを皆で話し合うのかのう?
皆様で、ゆるりと「ゆくとし」の思い出に浸り、
「くるとし」に思いを馳せましょうぞ!
詳しいことは下を確認してくださりませ!
さぁ、今年もあと少し…。
早速、武将様から学んで参りましょう!
佐々成政様
此度、拙者が学びまするは、「黒母衣衆」筆頭
佐々成政様
にございまする!
佐々成政様と言えば、
士周年祭にて行われた「織田信雄物語」にて、
加藤清正様が演じられた武将様にございまする!
皆様はこの佐々成正様のことをどれくらいご存じにございまするか?
成正様は織田信長様に十五歳の時から仕え、
文字通り信長様の刀や盾となり、
黎明期からずっと織田家を支えられた武将様にございまする…!
そんな、成政様は我が主君であらせられる前田利家様とも縁の深いお方にございました。
利家様と成正様
一五六七年(永禄十年)
信長様の直属の使番として、
「黒母衣衆」と
「赤母衣衆」が
馬廻の中から選出をされ、それぞれの筆頭に
黒・佐々成政様
赤・前田利家様
が選ばれました。
その後の北陸攻めの際も、織田家筆頭家老の柴田勝家様に付き従い、
前田利家様と佐々成政様は共に同じ戦場にて活躍をするのでございまする。
その活躍を認められ、
一五七五年(天正三年)には、このお二方に不破光治様を加え
「府中三人衆」と呼ばれることとなるのでございまする…!
そんな縁が深いお二方にございまするが、
「織田信雄物語」でもあったように、
羽柴秀吉様と柴田勝家様が天下の命運を分けた賤ケ岳の戦にて、
秀吉様についた利家様と
勝家様についた成政様は袂を分かつこととなったのでございまする。
賤ケ岳の戦で敗戦した後、
小牧・長久手の戦でも秀吉様に抵抗を続けましたが、
最期には降伏をされました。
降伏してからは秀吉様に仕え、九州征伐では武功を上げ、
一五八七年(天正一五年)、清正様より先に肥後一国を治めることとなりまする。
しかし、同年に起こった「肥後国人一揆」の責任を問われ、
翌年、秀吉様に切腹を命じられ自刃されるのでございまする。
秀吉様、そして利家様との明暗がはっきりと分かれてしまった成政様にございまするが、
実は、信長様に諫言を行った数少ないお方の一人なのでございまする…!
「良くないところは反省なさいませ」
一五七三年(天正元年)
織田信長様は、
越前の朝倉義景様、
近江の浅井久政様、
そして義理の弟であらせられる浅井長政様を討ち取られました。
一五七四年(天正二年)の元旦、
岐阜城にて酒宴が行われました。
酒宴も終焉に差し掛かり、宴の場には信長様に近しい武将様方のみが残りました。
そこへ、信長様が酒の肴にとあるものを用意したのでございまする…。
それは、義景様、久政様、長政様の首を、
金泥にて塗り固めた「薄濃(はくだみ)」という物にございました…。
信長様は、
「飲める者も、
飲めぬ者もこれを肴にして飲め」
と言われたのでございまする。
あまりのことに皆様驚かれましたが、
それでも酒宴は続き、大いに盛り上がりました。
そして、その場に成政様もおられました…。
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…酒宴も終わり武将様方が退出されたころ、
成政様は信長様の前に出られたのでございまする…!
そして、
「薄濃の首を肴にするといった、
人の道を踏み外した行為は慎むべき。
信長公に属さない国々があるのは、
徳が至らないと思い召されて、
良くないところは反省なさいませ。」
と言われたのでございまする!
成政様は、信長様の性格をよくわかっておられました。
怒りを買えばその場で打ち首となりまするが、
それでも恐れずに諫言をされたのでございまする…!
しかし、成政様の言葉を聞いて信長様は怒るどころか、
成政様の手を取り別室にて、成政様と改めて政道について語り合ったのでございまする。
信長様を恐れず諫言をした成政様は、
おそらく打ち首になってもいいという覚悟があったのだとおもいまする。
その思いを受け止めたうえで、成政様と政道について語る信長様の懐の深さ!
おそらく、この後成政様はより強く信長様に魅かれていったに違いありません!
ゆえに、信長様亡き後の秀吉様を許せなかったのやもしれません…。
学んだこと!
此度、拙者が学んだことは…
山は越えるためにある!
でございまする!
信長様という巨大な山や、再戦の申し出をするために越えた山、
どのような山も越えなければその先の景色は見られません!
ただ、越えた先にどの様な景色が広がるかは賭けにございまするな…!
小さい角
皆様、最後まで読んでいただき誠にありがとうございました。
小さい角(※つのでも可)でございまする。
ここは、拙者が現世にて学んだことで役立つかもしれないことを、
皆様にお伝えする場にございまする。
今回お伝えするのはこちら、
「竹箆返し」
皆様、読み方は分かりまするか?
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答えは「しっぺがえし」にございまする。
「竹箆返し」とは即座にしかえしをすることにございまする。
「箆」この字は「へら」と読みまする。
やはり「竹箆返し」はなぜか、竹の箆で「ペシンッ!」っとする印象がありまするな!
小さい角(門)におる、小さい福にちょっかいかけると「竹箆返し」を食らいまするぞ!
皆様に良きことがありますように!
それでは、これにて失礼いたしまする。
陣笠隊惣平
コメント
惣平さん
こんにちは。お疲れ様でございます。
佐々成正様、
といえば、直近では11周年祭での清正様でしょうか(笑)。
武将隊の寸劇でもお名前が登場されますよね。
それだけ戦国の世で名を馳せた武将様なのでしょう。
成正様が戦国の世を勝ち戦で永らえることができたなら、
名古屋おもてなし武将隊に佐々成正様がいらしたかもしれませんね。
惣平さんこんにちは!
段々と年末の気配が近付いてきましたね。今年は時間の流れの感覚が掴みにくくて、あっという間に年が明けそうな気がします。。
雪の名古屋城は綺麗ですが、もし積もったら靴用のカイロがないと登城できないので用意しときます!
佐々成政様、記憶に新しいですね。
アルペンルートはもう今年は閉じましたけど、あのあたりから先日の浜松まで…と考えると、当時の方の気力と胆力と決死の覚悟は並々ならぬものがあったんだろうなと思います(ぬるっと生きたい私は現代で良かったとつくづく思います…)
主君を諌める事、そして信長様の反応は、そこに関係性があってこそ、でしょうね。
小さい福にちょっかいかけたら竹箆返し食らっちゃうんですか!福だから相当な返しがきそう…気をつけます笑
惣平さん、今晩は~。
なんと名古屋はもう雪の気配ですか?
富士の頂きに白いものはあまり見えませんが、その向こうで季節は進んでいるのでしょう。
400年前の冬は辛い季節だったかも知れませんが、現世には楽しむ術がたくさん御座います。名古屋の冬の厳しさを噂には聞いておりますけれど、惣平さんがこの季節も楽しく過ごされることをお祈りしております。
利家様には成政様、清正様には行長様…好敵手の存在が武将様をより高めていかれるのでしょう。結果的には不運という言葉もちらつく成政様ですが、己を信じて立ち向かわれたお姿が想像できまする。
そう言えば、惣平さんにそっくりな勝家様もお素敵でしたよ~(笑)
まっすぐむかえば、伝わる事もありますね!!