【唐突に始まる家康問答!其の四十】〜大河ドラマ“どうする家康”まで待ちきれない!〜

日記

大河開始(令和5)まであと339

【唐突に始まる家康問答!】

趣旨

これは、

「鳴かぬなら 大河で主役 ほととぎす」

と言われる、儂、徳川家康が令和五に注目を浴びるであろうとの報から、では事前に問答企画にて予備知識を皆に与え大河を百倍楽しもうではないかという趣旨である

皆と良き刻を過ごしたき我が想いよ、届け

前問答の答え

問:前問の戦いの後、儂徳川家康は和睦の証に二男を秀吉殿の養子として大坂に遣わせた

後に何と言う武将であろうか

 

:四、結城秀康(ゆうきひでやす)

 

正解者よ、大儀であった

結城秀康は儂徳川家康の二男として、浜松城下の宇布見村(現浜松市西区)の小領主・中村正吉宅に生まれた

しかし母が正室・築山殿の侍安であったことから実子として認めず、家臣の本多重次に養われておった

小牧・長久手の戦いの和議によって秀吉殿の養子になり羽柴秀康と名のった後、結城氏に養子に出され、家督(かとく)を継いで結城姓となったのじゃ

。。。

第四十問

問:天正十四年(1586)、豊臣の姓を賜った秀吉殿は、二年後の天正十六年(1588)、兵農分離政策のなか、農民の武装を解除する目的で発したのは次のうちどれじゃろうか

 

一、刀狩令(かたながりれい)

二、生類憐みの令(しょうるいあわれみ)

三、惣無事令(そうぶじれい)

四、太閣検地

、どうする家康

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では答えは次回の発表であるぞ。心待ちにせよ。

 

皆からの質問

 

加え、皆からの質問に一つ直々に答えようぞ

故に知りたきこと、解らぬ事が在らば聞け

 

此度はこの質問に答えようぞ

結城秀康様はどのようなお方だったのでしょうか?

 

答:秀康は三十四歳でこの世をさった、我が有能であった二男

権力の狭間にて、一時は将軍職に最も近い存在として期待を一身に背負ったが数奇な運命に阻まれた子である

武に秀でる、我が自慢徳川や松平一族の一人である

 

 

 

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この問答企画で儂徳川家康を学び大河ドラマどうする家康を百倍たのしもうではないか!

 

 

家康

 

コメント

  1. 善か朗 より:

    結城秀康様もドラマになるような人生でしょうか。

    さて、この度の問答は有名どころ
    一、刀狩令

    これも諸説ありますね。
    集まったなかには名刀もあったことでしょう。

    まだまだ冬の寒さが身に滲みますが、お身体に気をつけてお過ごしください。

  2. 相州姥桜 より:

    将軍様
    流行病がまたしても猛威を振るっております。
    名古屋の皆様はお元気でしょうか。

    さて此度の問答は
    一、刀狩令(かたながりれい)
    お願い致します。
    刀狩と太閤検地は寺子屋でセットで習いました。
    今のお子たちもそうでしょうかね?

    家康様は秀吉様が導入された制度を多く引き継がれたと歴史家の先生が仰ってましたが、これは良いぞと思われたものはございますか?

    大雪が降ったりもしましたが季節はゆっくり移っているようで、小田原でも梅が咲き始め来週には梅祭りの開催が予定されております。
    家康様にもいつか小田原の梅を見て頂きたいものです。

  3. 香織 より:

    なんだかお話聞くと複雑な家庭環境というか、
    家康様もそうですけど結城様も幼い頃から少し寂しいような、苦労もされてる感じに想います(´`)

    戦国時代はこうした事が多いイメージがしますね、、たくさん身内になってくというか増えてくというか(;´ω`)

    今回はなんとなく四番にしてみます(〃´ω`〃)

    結城様は34歳はお若かくして亡くなられたんですね、戦国時代とはいえ
    家を継がれてこれから始めて行こうと志を持って歩みを進める中だったのかなと考えるときっとすごく無念な想いでしょうね(´`)

    でも家を継ぐという事はそれだけ信頼も深く厚く、武将様として素晴らしい方だったという証なんですね(〃´`〃)

    2月に入れば季節もそろそろ冬の終わりが見えてきて
    梅の花が咲き始めますね(〃´ω`)
    昔はお花見といえば梅の花だったと聞きますが、、
    質問というかふと想ったんですけど
    名古屋城の春祭りとは違う感じで
    武将隊が主催するお花見祭り(梅でも桜でも)とかあったら楽しそうかもと想います(〃´ω`〃)

  4. 結月里洋(ゆづき りょう) より:

    一にします!!

  5. 家康さま。こんばんは\(^o^)/

    「織田がつき羽柴がこねし天下餅すわりしままに食うは徳川」といわれるほどに
    家康さまが天下取りの前を歩かれたは。
    以前「絆」でもその生きざま見せていただきました。信長さま。秀吉様。。。

    三英傑中。例えるならば家康さまは末っ子(* ´艸`)でいらっしゃいますモノ

    ときおり駄々をこねられまくるお姿もお可愛らしく(* ´艸`)

    。。。。というのはおいといて

    此度も秀吉様にからんだ問答にございますね。

    こちらならば「兵農分離」からの最終問答(ファイナルアンサー)は。。。。

    一、刀狩令(かたながりれい)

    にて。お願いいたします。

    もしや。。。こちらも「元和偃武」の軸????否!!!!
    軸ではなく。武将様方々はいずれも平和な世を願っておられたのですね(ー ー)b

    ・・・・

    今まだ。流行り病の中
    今まだ。この世も戦国

    されど。。。。。。。。。。。。。。。。

    冬 来 きた りなば 春 遠 とお からじ

    とも申します。

    ・・・

    もうじき節分。立春大吉

    ・・・・

    東照大権現が家康さまにおかれては

    最近。吉兆はございましたか?

  6. ちよこれいとすき より:

    家康様
     
    1番 刀狩令 
    でお願いします。
     
    「豊臣秀吉 刀狩令」歴史の教科書でセットで覚えました。
    改めて歴史を復習させていただけて、ありがとうございます。
    戦国時代の復習と共に、今年は鎌倉時代を勉強している気分です。

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