織田家臣団30人毎日紹介 〜森長可編〜

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皆の衆、こんばんはじゃ!

豊臣秀吉である!

 

儂、豊臣秀吉が織田家臣団30人を毎日紹介する日記帳

此度は昨日紹介した森成利(蘭丸)殿の兄、森長可殿について紹介して参る!

長可殿の概要

森長可殿は、永禄元年(1558年)に森可成様の次男として生を受けた者である。

 

この者は元亀元年(1570年)に信長様と浅井殿、朝倉殿の戦いにて父である可成様と兄である可隆殿が亡くなってしまったが故に、僅か齢13で家督を継ぎ信長様に仕えることとなった者なんじゃ。

 

その折に昨日紹介致した「森成利(蘭丸)」殿も信長様の小姓として仕えたんじゃ。

 

信長様に仕えた後には信長様が行った「甲州征伐」にも参加し、同じ織田家臣団の団忠正殿と共に多くの武田家臣を降伏させたり、討ち取ったりしたり、様々な功績をあげたんじゃ。

 

そして信長様が本能寺で倒れられた後には儂に仕えたんじゃが、

儂と徳川殿、信雄様が衝突し起こってしまった戦、「小牧長久手の戦い」にて徳川殿の従兄弟にあたる水野勝成殿の家臣に眉間を銃で狙撃されてしまい命を落としてしまった。

 

齢27という短い生涯じゃった。

長可殿を秀吉が褒める

長可殿は「鬼武蔵」と言う異名がある程、気性の荒い者じゃった。

 

それ故に多くの逸話が残っておるんじゃが、可成様と同じく槍の名手でもあったんじゃ。

 

この者が持っておった十文字槍には「人間無骨」と言う4文字が刻まれておって、意味と致しては

「この槍を使えば人間の骨など無いも同然」

と言うことなんじゃ。

 

しかしながら、やはりその様な気性の荒い性格が多くの戦に勝つ動力となった故、

信長様も儂も長可殿には感謝をしておった。

 

しかしながら、このような性格を持っておる者を小牧長久手の戦にて亡くしてしまったことは

儂としてはどえりゃあ後悔をしたんじゃ。

まとめ

さて此度の日記帳は以上になる!

ここでは長さの関係で多くは語れんかったが、

長可殿の逸話はまだまだある故に気になった者は是非、調べて見ると良い!

 

「鬼武蔵」の異名を持った理由も中々に面白いぞ?

 

次回は長可殿の父上である森可成殿を紹介して参る!

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