名古屋市北区志賀町に平手政秀邸跡あり
平手政秀とは儂、織田信長の傅役
いわゆる儂の『爺』である。
和歌など嗜み、公家山科言継からも称賛を受けるほどの文化人でもあり、朝廷への使者、尾張国の外交を執り仕切る織田家家老である、帰蝶との婚儀も政秀が取りまとめた
今の儂があるのもこの者がおってこそである
平手政秀邸跡は名古屋市北区志賀町の【志賀公園】にある
何やら公園と言うものが制定されてから名古屋市の先駆けとなる公園らしく歴史は古く昭和5年からだそうじゃ
テレビ塔ならぬ、『ラジオ塔』あり
当時の市民はここでラジオ放送を聞いていたそうだ、平手政秀はひょっとすれば昭和初期のラジオを聴き込んで詳しいかも知れぬ、いつか蘇らんかのう、色々話しをしてみたいものじゃ
政秀が自刃してからの儂の事、蘇りて武将隊の日々、そしてこれからの事
志賀公園の満開の桜の下で共に語らいたい。
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