【唐突に始まる家康問答!】
趣旨
さあさ、皆の者よ
此度も我がしたためし書をよく読んでくれた
今までは、大河を祝し我が人生にまつわる問答をもとに繰り広げておったが
皆の要望もあり、続けることとなった
故に、これよりも我が人生を通じて主らの生きる手助けになれば幸甚である!
前問答の答え
問:長篠の戦いの陣中から妻に宛てた手紙で、その簡潔さから日本一短い手紙ともいわれる次の文を書いた三河武士はだれじゃ
「一筆啓上 火の用心
お仙泣かすな 馬肥やせ」
答:四、本多重次
本多重次は「鬼作左(おにさくざ)」という異名を持ち、非常に厳しい人物として有名である
しかし一方で家族を気遣い、陣中から手紙を書いておったのじゃな
簡潔で素っ気ない表現が重次らしいのぅ
重次の子である成重(幼名・仙千代)は、後に越前丸画城の城主となり、丸岡藩を立上げるのじゃ
その関係で丸岡町では重次の手紙に因み「日本一短い手紙コンクール」を行っておるとな
。。。
問答
問:天正四年(1576)、儂徳川家康は長男・信康の手配により、この年、初めて次男の於義丸(おぎまる)と岡崎城で対面した
後の小牧・長久手の合戦後に秀吉殿に人質に出された於義丸は、なんという名前の武将になるであろうか
一、徳川家光
二、羽柴秀勝
三、松平忠吉
四、結城秀康
。。。
では答えは次回の発表であるぞ。心待ちにせよ。
家康
コメント
大御所様
黄金週間後半、御多忙にもかかわらず息災であらせられる由…祝着至極に存知ます。
さて此度の御下問のお答えですが
四、結城秀康様にございましょうか?
私はあまり詳しくは無いのですが、我が家の刀剣女子(!?)の娘が「あ〜、天下三名槍の一振りの御手杵の槍の持主の結城秀康様だ!」と申しておりました故、四、結城秀康様とさせて頂きました。
こんにちは。撮影戦ですね。
忍者隊も新しく蘇る忍者が発表されましたね。
お会いする日が楽しみです。
この度の問答は 四、結城秀康 様 といたします。
秀康様のことはよく存じ上げませんが
家康様もそれほどご一緒に居ることがなかったのでは?
ではまた、一年のうちでも数少ない良き気候のうちにお城へ参りたいと思います。
家康様
四番 結城秀康
で、お願いします。
忍者隊の撮影写真ありがとうございます。
新しい忍者さんにお会いできるのを楽しみにしています。