【 将軍実記〜家康問答〜 】

日記

唐突に始まる家康問答!

 

趣旨

 

さあさ、皆の者よ

此度も我がしたためし書をよく読んでくれた

今までは、大河を祝し我が人生にまつわる問答をもとに繰り広げておったが

皆の要望もあり、続けることとなった

故に、これよりも我が人生を通じて主らの生きる手助けになれば幸甚である!

 

 

 

 

前問答の答え

 

問:関白となった秀吉殿が、諸大名を集めて「宝自慢」をしあったとき、秀吉殿は黙っていた儂徳川家康に対し、どんな宝を持っているのか尋ねた。儂はそのとき、なにが自分の宝だと答えたであろうか

 

 

 

答:一、自分のために命を惜しまぬ働きをする家臣

 

 

 

儂徳川家康と三河武士たちとの絆は、何代にもわたって主家と譜代という関係を続けた中で培われた、何物にも代え難い儂の宝じゃ

 

一方、このとき秀吉殿が自慢した宝とは

「虚堂の墨蹟や粟田口の太刀」などの品物で、金と権威が無くなれば 散逸してしまう性格のものであった

 

この話を聞いた秀吉殿は深く恥じ入ったと伝えられておるのぅ

 

 

 

 

 

。。。

 

 

 

問答

 

問:慶長四年(1599)、伏見城にいた儂徳川家康が、戦乱を納め平和な時代するには武士の意識改革が必要と考え、新しく始めたこととはなんじゃ

 

 

 

一、過剰な武器を取り上げる刀狩りの実施

 

二、修養教育を行う学校の設立

 

三、経済発展のための街道の整備

 

四、儒学(じゅがく)などを学ぶための本の出版

 

 

。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では答えは次回の発表であるぞ。心待ちにせよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

家康

 

コメント

  1. 善か朗 より:

    おもてなし隊なごやの撮影戦でしょうか?
    良い天気でございますね。

    家臣との信頼関係は思うより大変なことだと
    大河ドラマを見ていて感じました。
    権力が大きくなればなるほど、家臣が信用できなくなっていく
    すると孤立化して精神状態が不安定に・・・
    そのあたり、徳川家は信頼できる家臣が多数いたおかげで
    他の武家よりは安定していたのではないかと思われます。

    この度の答えは 二、修養教育を行う学校の設立 といたします。
    幕末などは学校がたくさんあったように思いますが
    家康様の頃はどうだったのでしょう?

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