【唐突に始まる家康問答!】
趣旨
ようやく参ったこの時が
どうする家康年開始じゃ!
前問答の答え
問:慶長八年、秀忠の長女・千姫が七歳で嫁いだ相手はだれじゃ
答:一、豊臣秀頼
正解者よ、大儀であった
秀頼殿による豊臣政権の継承を願う秀吉殿は、
六歳の秀頼殿と二歳になったばかりの千姫の婚約を遺言し
慶長三年(1598)八月に六十二年の人生の幕を閉じたのじゃ
関ヶ原の合戦で勝利をおさめ、
慶長八年(1603)二月に征夷大将軍に就任した儂徳川家康は、
豊臣恩顧の外様大名たちの思いを斟酌(しんしゃく)し、
徳川家と豊臣家が和解できるように家が一つになれば、
国が治まるとする考えは秀吉殿と同じだった
しかしその期待はなかなか現実のものとはならず、わしの心労は長く続くこととなったのじゃ。。
。。。
第八十四問
問:慶長十年(1605)将軍職を秀忠に譲った儂徳川家康は、政治の実務に一定の距離を置くため、
慶長十二年(1607)に秀忠がいる江戸城とは別の場所に居城を移した
そこはどこじゃ
一、岡崎城
二、駿府城
三、二条城
四、浜松城
五、どうする家康
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では答えは次回の発表であるぞ。心待ちにせよ。
皆からの質問
加え、皆からの質問に一つ直々に答えようぞ
故に知りたきこと、解らぬ事が在らば聞け
此度はこの質問に答えようぞ
確かに桜餅には、水溶きした小麦粉を幕状に焼いた皮で餡を巻く関東風の「長命寺」と、道明寺粉(水に浸した餅米を干して粗めにひいたもの)を蒸した生地で餡を包む関西風の「道明寺」の二種あるのう
儂は関西風が好きじゃ
道明寺粉にてつくるは、儂が生きるずっと前からもののふが携帯食としても使っておった
反対に、関東風は江戸にて元祖が生まれ関西風はそれを真似たものであるそうじゃがのう
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この問答企画で儂徳川家康を学び大河ドラマ“どうする家康”を百倍たのしもうではないか!
家康
コメント
桜餅には勝手に西と東で生まれたわけではなく、そのような経緯があったのですね。
地域によって関係をしながら伝わっていく、文化は面白きものです。
この度の問答は 二、駿府城
静岡は温暖で過ごしやすく、江戸からもそれほど遠くない
リゾート地のようですね。
今回のお写真の宮崎も庁舎がレトロで素敵なところですね。
なんとなく名古屋市庁舎と似ている感じもします。
秀吉様と清正様がよみがえっていらっしゃいますが、今度は於大様がご出立とのお知らせがありました。徳川年ですのに、少し寂しい気持ちです。
そんな母上との現世での一番の思い出は何でしょうか?
華やかで楽しい於大様、ご出立前にまたお会いしたいものです。
大御所様
梅雨を通り越して、真夏の如き暑さがやって参りましたが、お変わりございませんでしょうか?
さて早速ですが今回の御下問のお答えですが
二、駿府城にございましょうか?
一般に駿府にての人質時代に、今川家から冷遇されていた。と言われておりますが、雪斎禅師を始め一流の講師人より優れた教養を授けられた…あくまでも人質ですので、それは辛い事も多々あった事かと拝察致しますが、戦国武将としての自身の基礎を形作ってくれた有難い場所故に、晩年自身の隠居の場所として、城を築かれたかと存知ました。
唐突ですが ここで質問です。
先日大御所様は日向国へ遠征なさった由
近年尾崎牛を始めとする宮崎牛や、浜松を凌駕する消費量と言われる餃子(豚肉ニラ)アゴ出汁の原料飛魚、空飛ぶ玉ネギと称される玉ネギや、生で皮ごと食する事の出来る金柑、日向夏の柑橘類、太陽の卵と称される甘熟マンゴー等々食材の宝庫と言われる日向国にございますが、大御所様が心引かれた食材(料理)は何でございましょうか?
家康様
二番 駿府城
で、お願いします。
大河ドラマは三方ヶ原が終わりましが、例の味噌としかみ絵の話はありませんでしたね。最近の資料による解釈なのでしょうか。
宮崎遠征お疲れ様でした。
県庁舎がなんとなく名古屋の庁舎に似ているような気がするのは、作られた年代が同じような時代だからかなと思ってみたりしました。
宮崎では何を食べましたか?
美味しかったものは?