【 将軍実記〜家康問答〜 】

日記

唐突に始まる家康問答!

趣旨

 

さあさ、皆の者よ

此度も我がしたためし書をよく読んでくれた

今までは、大河を祝し我が人生にまつわる問答をもとに繰り広げておったが

皆の要望もあり、続けることとなった

故に、これよりも我が人生を通じて主らの生きる手助けになれば幸甚である!

 

 

 

 

前問答の答え

 

問:天正四年(1576)、遠江・芝原の陣が初陣となった井伊直政は、どのような手柄を立てて儂徳川家康から三千石の加増を受けたのであろうか

 

 

答:一、儂徳川家康の寝室に忍び込んだ武田の刺客を撃退した。

 

 

井伊直政が儂徳川家康に出仕したのは、三方ヶ原合戦の後である

井伊家そのものが格式の高い武家の家柄であったこともあり、直政は破格の出世をしていくのじゃ

小姓頭として儂の傍にあった直政は、三河武士たちと儂徳川家康とのやり取りをつぶさに見ておったと思うのじゃが、生来の負けん気の強さからこのように自身の身の危険を省みない活躍をするのであった

 

。。。

 

問答

 

問:天正十年(1582)、甲斐に侵攻して武田氏を滅ぼし、儂徳川家康と合流した信長殿が、駿河、遠近を通って安土に帰る途中、一人の三河武士を呼び、家臣たちに「この者こそ、花も実も兼ね備えた誉れある勇士である」と紹介した。

信長殿が称えたこの徳川四天王の一人はだれじゃ

 

 

一、井伊直政

 

二、酒井忠次

 

三、榊原康政

 

四、本多忠勝

 

 

。。。

 

 

 

 

 

 

 

では答えは次回の発表であるぞ。心待ちにせよ。

 

 

 

 

 

 

家康

 

コメント

  1. 善か朗 より:

    食べる味噌配信に、新忍者お披露目、盛り沢山な週でございました。

    武田を滅ぼしたとすると長篠の戦いの後、であれば
    長篠で活躍されたのは酒井様かと思われます。
    二、酒井忠次

    もうあっという間に六月、水無月ですね、今年もあと半分。
    早うございます。

  2. Pちゃんママ より:

    大御所様
    本日五月二十四日現世の瓦版中日新聞朝刊の市民版に、日泰寺の境内にて特殊詐欺被害の対策を呼びかける御姿を拝見致しました。息災で御活躍の由…祝着至極に存知ました。
    さて此度の御下問のお答えにございますが
    四、本多忠勝殿にございましょうか?
    理由は「家康に過ぎたるものが二つあり唐の頭に本多平八」なる高札を武田軍の者から立てられた百戦錬磨の武将様だからにございます。
    間もなく梅雨入りとか…大御所様に於かれましても、体調等崩されませぬよう、御自愛下さいませ。ご機嫌よう…

  3. ちよこれいとすき より:

    家康様
     
    四番 本多忠勝
    で、お願いします。
     
    迷いましたが、本多忠勝様にしました。
    大河ドラマや漫画でも、信長様は忠勝様を気に入っておられた様なので。
     
    酒井さんとの配信面白かったです。
    家康様は本当に美味しそうに召し上がりますね。
    ついつい食べたくなってしまいました。
     
    セントレアでの忍者さんとのお写真もありがとうございます。
    新しい忍者、遊さんのご活躍を楽しみにしています。

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