【唐突に始まる家康問答!】
趣旨
さあさ、皆の者よ
此度も我がしたためし書をよく読んでくれた
今までは、大河を祝し我が人生にまつわる問答をもとに繰り広げておったが
皆の要望もあり、続けることとなった
故に、これよりも我が人生を通じて主らの生きる手助けになれば幸甚である!
前問答の答え
問:天正十四年(1586)、秀吉殿の妹・朝日姫を正室に迎えた儂徳川家康は、秀吉殿の母・大政所まで岡崎城に人質に差し出され、とうとう和議に応じるため上洛するのじゃが、その間、岡崎城で大政所を親身に警護して大政所に大変気に入られ、大坂城まで送り届け、秀吉殿からも好印象を得て豊臣姓を与えるとまで言われた徳川四天王の一人はだれじゃ
答:一、井伊直政
秀吉殿は小牧・長久手の戦いで、局地戦では儂徳川家康に敗北したのじゃ
儂の実力を知った秀吉殿は、儂徳川家康を懐柔(かいじゅう)させるために、天正十四年(1586)、他家に嫁いでいた妹の朝日姫を無理やり離縁させ、儂の継室とし、さらに母の大政所を岡崎に送るのじゃ
岡崎城で面会を果たした母と子は、人質同然で心細い立場であったであろう
直政は留守居役としてそんな親子を温かく迎えて気遣い、警護し、大政所に大変信頼され慕われておった
大政所が大坂城に帰る際も、直政は秀吉殿から護送役を指名され、到着した直政を秀吉殿はわざわざ迎えに出てその労をねぎらったと伝えられておるのぅ
。。。
問答
問:天正十六年(1588)、隠居した酒井忠次が余生を過ごした土地は、どこだったであろうか
一、江戸
二、大坂
三、岡崎
四、京都
。。。
では答えは次回の発表であるぞ。心待ちにせよ。
家康
コメント
大御所様
梅雨明けはまだですのに
連日三十度を越える真夏日が続いておりますが、息災であらせられる御様子…祝着至極に存知ます。
さて此度の御下問のお答えは…四、京都にございましょうか?
大河ドラマ「どうする家康」にて大森南朋さんが演じられた筆頭家老の御最期は「殿より出陣の命が下されたのじゃ」そう仰られて甲冑を身に着けつけつつお亡くなりになる…死に際しても尚、殿に殉じようとなさった…立派な御最期でございました。
この度の問答は・・・確か西の方だと記憶しておりますが
京都だったか大阪だったか・・・・
では四、京都といたします。
みそみそ決定戦、家でもやってみたいと思いますが
家康様の食べる味噌にするべきか、いただいたイチビキさんの味噌にするべきか・・・