新太閤記 〜長浜へ〜

日記

皆の衆!
こんばんはじゃ!

豊臣秀吉である!

此度の日記帳は、
儂が初めて信長様に与えられた城である長浜城へと足を運んだことを記して参るぞ!

いざ!

長浜城へ

関ヶ原を抜け、近江国は米原をも抜けるとそこには『長浜』っちゅう地名の場所がある。
元々は『今浜』っちゅう地名であって、
儂が浅井攻めの功にて信長様から浅井氏の旧領地を拝領した際に、信長様の一字をも拝領し

『長浜』

と命名したことから、今の地名になったわけじゃ。

ここに儂は儂にとって初めての城となる『長浜城』を築城したのじゃ。

当時は今のように琵琶湖の一部が埋められておらぬ時代。
故にこの長浜城も湖城の一つとして築城したのじゃわ。

儂が建てたこの城は、
浅井氏の居城であった小谷城の資材を使うなどして築城した城。

『あれ、秀吉様は墨俣に城を築いているじゃないですか。』

ここでそう思う者がおるかもしれん。
しかしながら墨俣の城はあれは城であって城ではないのじゃ。

信長様の美濃国攻略の為に築城した、いわば『砦』

この現代では『墨俣一夜城』として儂が一夜で築いた城のようになっておるが、
あれは儂の城ではなく、あくまでもすぐ壊せるようにした軍事施設。

この長浜城は農民出じゃった儂にとって、
いかなるようにしても良い城であったのじゃわ。

現在の長浜城天守は昭和五十八年に犬山城と伏見城を参考にして建てた復興天守であり、
中は長浜城歴史博物館となっておる。

大阪にある大阪城と同じで、この長浜城の展示は儂に関連するものが多く、
また一番上の展望台からは琵琶湖や近江国を一望することができるぞ。

この場所は関ヶ原にも近い場所。
故に是非とも関ヶ原へ寄った際には足を伸ばして長浜まで遊びに行ってちょ。

ちなみに。
この長浜城へ行く道の途中。
関ヶ原から米原に入ると、佐吉が生まれた『石田村』がある。

現在は『石田町』になっておるが、
関ヶ原を抜けた後に佐吉の生きた風を感じることもできる。

それがこの近江の地っちゅうことじゃ。

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