又左趣記 外伝 若宮八幡社

名古屋紹介

又左趣記 外伝

前田又左衛門記し候

又左趣記 外伝では、又左趣記本編とは別に

此処名古屋の魅力を地元出身の儂、前田利家が伝えて参るでな

今回は?

今回は名古屋の名所を紹介しようぞ

その場所とは・・・

若宮八幡社

である!

この歴史ある八幡さんがどの様な所なのかを紹介して参ろう

若宮八幡社の起こり

若宮八幡宮とも呼ばれる若宮八幡社は

仁徳天皇、応神天皇等を主祭神とし

現在、名古屋市中区内に鎮座しておる

建立されたのは八世紀の頭頃で

当時日ノ本の元号は大宝であった

場所は今より北の現在で言う那古野神社の隣辺りである

因みに、すぐ目の前の若宮大通りはこの若宮八幡社から名付けられたものである

戦国時代の若宮八幡社

約四百年前、日ノ本が戦国時代と呼ばれる頃

若宮八幡社は那古野城に近い神社として城下にあったが

織田信長様の父君であらせられる信秀様が那古野城を取られた戦の折

攻城戦に巻き込まれ焼失してしまう

しかし、その八年後には信秀様により再建され

信長様や秀吉により大切にされてきた

そして、慶長十五(1610)年現在に通ずる名古屋城が築城された際

現在の位置へと移された

江戸時代の若宮八幡社

戦国時代の後、江戸の幕府が開かれ江戸時代となると

若宮八幡社は尾張徳川家の氏神として厚く祀られる事となる

二代目藩主である徳川光友から百石与えられたり

名古屋総鎮守として崇められたりと

名古屋城下の寺社仏閣の代表格とも言える神社となった

その頃に行われていた若宮祭は名古屋東照宮の東照宮祭、那古野神社の天王祭と並び名古屋三大祭とされた

現在の若宮八幡社

名古屋の大空襲の際、再び焼失してしまうものの

昭和三十二(1957)年に地域の民の願いもあり、無事造営された

そして、現在では迎賓館も設置され

参拝は勿論、婚儀の場としても名古屋民の拠り所となっている

まとめ

このことから若宮八幡社は

何度でも甦る名古屋の総鎮守

と言えるじゃろう

昔からこの地を見守り、民に愛されているこの八幡社は

名古屋を代表する百メートル道路の名ともなり

これからも名古屋を護ってくださる事であろう

では

此にて終いじゃ

前田又左衛門利家

コメント

  1. あっ より:

    利家様こんばんは。
    今日も名古屋紹介お疲れ様です。
    科学館に行く時に前を通るんですけど、名古屋城検定の勉強をしていて今更ながらここか!と思いました。
    街の方々に愛され続けているんでしょうねー。

  2. りーくん より:

    利家様
    おはようございます。

    若宮八幡社、
    たぶん行ったことがないと思います。
    場所がパッと思い出せなかったので。
    場所を調べてみたら、
    若宮大通り沿いにあるのですね。
    近くを走ったことがあるのに・・・。
    行事もたくさん行われているのですね。

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