新太閤記 〜盆踊りの季節〜

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皆の衆!
こんばんはじゃ。

豊臣秀吉である!

今年も、間もなく我ら主催の「武将隊盆踊り」がやって参る。
そんな「武将隊盆踊り」の櫓を建てるために、今年もクラウドファンディングなる催しを行った。

見事、皆の力のおかげで達成することと相成った。
そしてその返礼品として今現在は団扇を配っておったり、太助手製の絵が描かれておる手拭いを配っておったり、
そして「盆踊り練習会」なども行っておる。

儂はこの間、北区スポーツセンターにて盆踊り練習会を行ったところである。
皆の支援、誠に嬉しきことであった。

ありがとさん!

我らの「武将隊盆踊り」は、
葉月は朔日、二日、三日で開催を致すでな!

是非とも参陣してちょ!

さて、そんな盆踊りじゃが。
皆は「盆踊り」と言う催しがなんの為にあるか、知っておるかの?

大体の者は「先祖の霊を供養するため」と答える。

そうじゃ、その通りじゃ。
皆の先祖を供養するために踊ることがこの「盆踊り」の役目。

では何故、「踊る」っちゅうことが「先祖を供養すること」となったのか。

盆踊りの起源は様々に語られておるんじゃ。
仏教の盂蘭盆会が起源とする説、原始信仰の儀式だったとする説。
ほんに様々なことを言われておるのじゃ。

この盆踊りに似たものが、文献に登場するのは足利将軍家の時代から。
公家たちの時代、所謂、平安の時代に空也と呼ばれる僧が始めた踊念仏が流行りとなり、盂蘭盆会の行事と結びつき、先祖の霊を供養することとして定着していったと書かれておる。

そしてそれが我らの時代には、太鼓を叩いて踊るようになったり、
はたまた出雲阿国が男装をして踊り念仏をしたりと、色々な形で日の本全国に広がって行ったのじゃ。

最盛期は徳川殿の治世、要は江戸の時代。
盛り上がりすぎてその後の時代である明治には取り締まりの一環となったそうじゃ。

じゃが今でもこうして踊られておるのは、
皆が密かに踊っていた、若しくは、明治政府に反感を起こして踊ることを守り抜いた歴史があると儂は勝手に思っておる。

故に、「武将隊盆踊り」も皆で楽しく、そして徳川殿がよく言う
『阿呆』になって踊り狂って参ろうぞ!!!

なごのキャンパスにて待っておるぞ!!!

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