【 将軍実記〜家康問答〜 】

日記

唐突に始まる家康問答!

 

趣旨

 

徳川家康である

さあさ、皆の者よ

此度も我がしたためし書をよく読んでくれた

みなとこの電子日記帳にてやりとりができることを心から嬉しく思う

皆が健やかに日々を過ごせる事を祈っておる

 

 

 

 

前問答の答え

 

問:慶長八年(1603)、
後の徳川ご三家のひとつ、水戸徳川家の初代・頼房が生まれたが、長男の信康からこの頼房まで、儂徳川家康には何人の男の子がおったであろうか

 

 

答:三、十一人

 

 

長男・信康は信長殿から自刃を命じられ、次男・秀康は秀吉殿の養子に、三男・秀忠が儂徳川家康の後を継いで二代将軍に就任した

 

四男・忠吉と五男・信吉は二十八才と二十一才で若死にし、六男・忠輝は秀忠の命で流罪謹慎。(るざいきんしん)

 

七男·仙千代と八男・松千代はともに六才で夭逝(ようせい)し、九男・義直は尾張藩の、十男・頼宣が紀州藩の、十一男・頼房は水戸藩の藩祖となり、御三家として将軍を補完してゆくのじゃ

 

儂はこの三人を十四、十五才になるまで駿府に置いてじっくりと教育し御三家を興させたのである

 

 

。。。

 

 

 

 

 

問答

問:慶長十年(1605)、儂徳川家康は三男の秀忠を二代将軍にしたのじゃが、二年で将軍を子供に譲った一番の理由は何であろうか

 

 

 

一、天下の行方を示し、天下を安定させるため

 

二、高齢で将軍の仕事ができないため

 

三、病気で思うように動けなくなったため

 

四、 隠居して早く好きなことをしたかったため

 

 

 

。。。

 

 

 

 

では答えは次回の発表であるぞ。心待ちにせよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

家康

 

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