新太閤記 〜加藤清正編〜

日記

皆の衆!
こんばんはじゃ!

豊臣秀吉である!

此度の日記帳は
儂が自分の家臣を紹介する日記帳、第3弾じゃ!

前回、前々回と儂の頼れる軍師を2名紹介したが、
此度からは儂の可愛ええ息子の様な存在4人を皆に紹介して参ろうと思う!

最初は加藤清正についてじゃ!

いざ!

加藤清正の生涯

清正は永禄5年(1562年)6月24日に、
刀鍛冶であった加藤清忠の子として尾張国愛知郡中村(名古屋市中村区)に生まれた男である。

清正の母は鍛冶屋清兵衛という者の娘なのじゃが、
この清正の母と儂のおかあちゃんが従姉妹であったことから儂と清正は縁戚関係にあたるのじゃ。

それ故に、天正元年(1573年)には清正は長浜城の城主となった儂に小姓として仕えることとなった。

天正4年(1576年)の15歳の頃に元服をし、そこで初めて「加藤虎之助清正」と名乗った。

烏帽子親は儂、羽柴秀吉。

元々、清正には「夜叉若」という幼名があったのじゃが、
儂からしてみたらこの名は奇妙で恐ろしいものじゃと感じた。

故に儂は清正に「虎之助」という通称名を与え、それをこれからは名乗るようにとしたのじゃ。

初陣は中国攻めを儂がしとる中での「鳥取城兵糧攻め

しかしながら、長篠の戦いにも出ておったと言っとる者もおるのじゃが、それはまた別の機会に話そうと思うわい。

この時の清正はまた齢20。
この初陣で清正は多くの手柄を取ってきており、儂はその姿を沢山褒めたんじゃよ。

じゃが、その中国攻めの途中に「本能寺の変」が起こり、
儂の主君である織田信長様が自害なさったとの報せを受けた。

儂はすぐさま清正らを連れ、中国地方から京へと戻り、そこで謀反を起こした明智光秀殿を討った。

その戦い「山崎の戦い」でも清正は明智方の武将である近藤半助を討ち取るなどして武功を上げたのじゃ。

清正、賤ヶ岳で大活躍

天正11年(1583年)、
信長様亡き後の後継者を決める話にて対立をしておった柴田勝家様ととうとう儂は戦をする事となってしまった。

この戦いでも清正は羽柴方から柴田方へ寝返った山路正国を討ち取り、
またその他にも沢山の武功を上げた。

これにより儂は清正に3000石の所領と感状を与えたのじゃ。
(儂が清正に同じことをした武将が他に6名いた為に現世では清正を含め「賤ヶ岳の七本槍」と呼ばれておるそうじゃな)

天正13年(1585年)7月に儂が関白になったと同時に清正を主計頭(簡単に言うと銭の管理などを担当する者)に命じた。

そしてその翌年から清正にとっては重要な出来事が立て続けに起こったのじゃ。

清正、熊本の領主へと

天正14年(1586年)の九州征伐で武功をあげ、熊本の地を与えて領主にさせておった佐々成政殿を、天正16年(1588年)に失政の為、儂は切腹を命じた。

そして、
領主がおらんくなった熊本の地に成政殿の後任として治めさせたのが清正と小西行長の2人。

清正には肥後北半国19万5000石を与え、隈本城に入らせた。
この隈本城は後の天正19年(1591年)に大改修をし名を「熊本城」としておる。

じゃが、何故、成政殿が治めれんかった土地を儂が清正を後任として治めさせたか。

実はな、この熊本の領主になる前、賤ヶ岳の戦い後に清正は主計頭になったじゃろ?

主計頭は先程も簡単に説明した通り、銭などを管理をする役職。
豊臣にはなくてはならない存在だったのじゃ。

しかしながら、豊臣の官僚の仕事ぶりを儂が評価し、この男ならば

治めることが難しい土地を治めることが出来ると思い、熊本の地を与えたという訳なんじゃな。

そして熊本の領主となった後には異国の地に出陣したりなんだりをしたが、
その途中で儂はこの現世を去った。

儂が死んだ後は徳川殿に接近したりなんだりして、
秀頼と徳川殿の会見の場を作ったが、その会見を見届け肥後に帰国をしてる最中、

船の中で発病し、そのまま死んでしまった。

その日は奇しくも清正の生まれた日でもあったんじゃわ。

享年は50であった。(満49)

蛇足・その後の加藤家

清正が死んだ後、加藤家は清正の嫡男であった忠広が熊本の地を治めることとなったのじゃが、
何故か突然、寛永9年(1632年)に改易となり、
忠広は出羽庄内藩主の酒井忠勝(酒井忠次の孫)の元へと預かり処分となった。

この改易は忠広の普段の行いが悪かった、などの色々な理由があると言われておるのじゃが、

真偽は未だに不明。

まぁ、急に自分の父親が死んでしまったら、まだ教えてもらいたいことも叶わんくなるが故に、
全ては忠広のせいではないと、儂は思いたいわい。

まとめ

此度の日記帳はこれにて終いじゃ!

清正は儂の死後にも「常泉寺」っちゅう儂の生まれた場所に寺を創建するほど、
儂に忠義を示しておった。

それは400年経ち、蘇った今も健在じゃと思っておる。

共にまたこの現世に甦り以上、
儂が死んで清正にしてやれんかったことをしてやろうと思っておるでね。

これからも清正共々、よろしゅう頼むな。

次回は清正の長きにわたる親友でもある「福島正則」について紹介して参る!


儂の大切な子飼いの清正

ばっくなんばあ

黒田官兵衛編

竹中半兵衛編

コメント

  1. ミハラ より:

    殿下!待ってました!
    「儂の大切な子飼い」〜!
    初陣で手柄をたてた清正様を褒める殿下〜!
    殿下の清正様への愛と圧倒的信頼!!ありがとうございます!!

  2. 中島 より:

    殿下〜〜〜!!!
    殿下の清正さまへの愛にあふれたお言葉たちが、実際に殿下のお声で聞こえるみたいに臨場感あってすごく読んでて笑顔なりました!

    次回もたのしみにしています!殿下がつづられる文章が大好きです、ありがとうございました!

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