又左趣記 馬物語
前田又左衛門記し候
此処では又左趣記としてこの多趣味武将こと前田又左衛門利家が
「手記」ではなく「趣記」として
馬物語、武具録、説異聞、霊日記の四つの章に分け
普段ではあまり知り得ない知識を記して参る
馬物語とは
後に松風と呼ばれ戦国一の勇馬である谷風を愛馬とし
その背に乗り戦場を駆け抜けた
名馬を愛し、名馬に愛された儂が
古今東西の素晴らしき名馬達を
その歴史、物語と共に紹介してゆく
第一話 赤兎馬
記念すべき又左趣記第一回目にして馬物語第一話を飾る名馬は
赤兎馬じゃ
歴史上一番と言っても過言では無いほどの知名度を持つこの馬が
どのような馬でどのような物語を持っているのかを紹介して参ろう
赤兎馬とは
二世紀から三世紀にかけての漢(現在の中国)という国の歴史に登場する馬で
その名の通り、毛並みが炎のように赤く、兎のように素早く速い馬であったと言われており
一日に千里(現在の四百キロメートルほど)駆けることが出来ると称されるほどの体力があったとも記されておる
一説には汗血馬とも言われており血の汗を流すことにより赤く輝いていたとも考えられておる
ここまででも大層な名馬だというのは伝わったかと思うが
この馬が真の名馬と呼ばれるのはこの馬の物語にある
この馬に跨がり歴史を作った人物を紹介しようぞ
赤兎馬に関わった人物
呂布
漢帝国後期(後漢)に実在した将軍で
馬を駆ければ誰よりも速く、弓をとれば必ず当て、矛を振るえば相手が逃げ出すほどの人物で
そんな呂布愛馬としていたのが赤兎馬である
呂布と赤兎馬の相性は非常に良く
人中の呂布、馬中の赤兎と畏れられるほどであった
関羽
呂布亡き後、赤兎馬は呂布を討ち取った曹操という将軍から関羽に贈られる事となる
関羽は一騎当千と称される豪傑でありながら人情深く忠義に厚い人物で
義兄の劉備と離れ、曹操の元に身を寄せていた関羽を取り込もうと曹操から贈られたものの
関羽は「千里を走ると言われる赤兎馬がいればいつでも義兄の元へ帰れる」と喜びつつも忠義の心を示したと言われておる
祝融
南蛮(中華南部)の王妃として登場する祝融も赤兎馬と呼ばれる馬に跨がっていたという伝説がある
時代は同じ後漢にて、王妃でありながら女豪傑として登場する祝融が愛馬とした赤兎馬は
上記の赤兎馬とは別の個体と言われており、赤兎馬という言葉は固有の馬を指すのではなく
同じ特徴を持った馬を指すのではないかと考えられておる
まとめ
以上の事から分かる赤兎馬という名馬は
- とてつもなく速い
- とてつもなく強い
- 乗る者も強い
- 赤兎馬は何頭かいる
この特徴を覚え赤兎馬という名馬を記憶してちょーよ!
此れにて仕舞いじゃ!
前田又左衛門利家
コメント
利家様
こんにちは。お疲れ様でございます。
新しい日記帳の更新、
ありがとうございます。
利家様から三国志のお話を聞くのは
久しぶりでしょうか。
とはいっても、
三国志に登場する馬のお話ですが(笑)。
新しい日記帳でも
いろいろなお話をお聞かせください。
利家様のことや戦国時代のお話も聞きたいです。
利家様こんにちは!
うま!馬がテーマならたくさんお話が出てくるでしょうね〜!
赤兎馬、私もめっちゃ元気や…長生き…て思ってました。世襲制かもしれないですねー。海王とかそういう系やも。中国ですし。笑
また更新たのしみにしてます!