信長の茶 素晴らしき茶碗の世界 (三)

日記

前田又左衛門利家より贈られた、「萩焼」より始まった茶碗の世界

前回は「一楽 二萩 三唐津」より「楽焼」を紹介してから久しくなってしまった。

今回は「唐津焼」である

唐津焼は佐賀県東部、長崎北部(肥前国)で作られる陶器の総称。

偏に、唐津焼と言えども様々な作風、技法があるらしい

大まかに分けると、、、、

  • 絵唐津
  • 朝鮮唐津
  • 斑唐津
  • 三島唐津
  • 粉引唐津
  • 奥高麗
  • 瀬戸唐津
  • 青唐津
  • 黄唐津
  • 彫唐津
  • 刷毛唐津
  • 櫛目唐津
  • 蛇蝎(じゃかつ)唐津
  • 二彩唐津

と、多岐にわたる。

唐津焼の始まりは未だ謎が多く、はっきりとした年代は分かっていないが、元々陶器の一大産地だった肥前国に1592~98年の秀吉による朝鮮出兵によって、朝鮮の陶工から伝授された技術が入り、大成したものではないかと推測される、唐津港より全国へ出荷されたため『唐津焼』と呼ばれたようである。

先ほど挙げた作風の中にあった奥高麗は、1592年以前から作られていた陶器であり、朝鮮出兵前から肥前国と朝鮮の交流がうかがい知れる、1591年に没した、千宗易(利休)も『子のこ餅』(ねのこもち)という銘の奥高麗茶碗を所持していたのが何よりの証拠である。

文献上に『唐津焼』という名前が登場するは、我が家臣であった「古田織部茶会記」に記された1603年の事である。

その人気は高く、瀬戸内海沿岸、山陰地方、北陸日本海沿岸の地域では、他地方で『せともの』と呼ばれる陶器質の器を『からつもの』と呼ぶようである。東海関東の者からすれば驚きの文化である。因みに、『せともの』とは愛知県瀬戸市の『瀬戸焼』である。←儂のおかげ

西の『からつ』、東の『せと』と言ったところであろうか、是非とも手に入れたい一品である。

(写真は名古屋城茶亭、唐津焼の非ず) 撮影 なつ

 

 

 

コメント

  1. りーくん より:

    信長様
    おはようございます。

    利家様から献上された萩焼の茶器は
    愛用されていますか?

    唐津焼、佐賀県といったら、
    陣笠隊なつさんの御出身地ですね。
    謎の多い唐津焼とのことですが、
    地元の民なら何か縁あることを
    知っていらっしゃるかもしれませんね(笑)。

  2. 結月 里洋(ゆづき りょう) より:

    奥が深いですね!

    さすが御館様です♪

  3. みなみ より:

    前回の楽茶碗日記帳はいつだったかな?と思ったら9月でした…🤭
    唐津焼にもそんなに種類があるんですね!さらっと自慢も入ってるところがさすが信長様です 笑
    お茶のお稽古にはなかなか厳しい昨今ですが、また信長様がお茶を点ててらっしゃるところを拝見したいです🍵TikTokの動画投稿で見れたり?しませんか??🥺

    TikTokの動画投稿も、ライブ配信も、一人でも多くの武将隊を知らない方に知ってもらうという目標に向かって日々奮闘されている信長様を尊敬しております。武将隊を知っている者でも謙信公女性説から信長様の好きな食べ物までいろんなお話を聴けて楽しませていただいておりますよ☺️

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