惣平、生き様に学ぶ! ~笹、散る時も枯れず~

日記

 

この日記帳では、拙者足軽の惣平が、

武将様のような立派なもののふになるべく、

武将様の逸話や名言、「生き様」を皆様に紹介すると同時に、

拙者自身も学んでゆき、少しずつ成長する様子を書き記していきまする。

布団から出ることが難しい…!

 

あいさつ

 

皆様!

惣菜の惣に平で惣平にございまする!

 

先日行われた、毎月武将隊

「ハロウィンの乱 ~傾奇者とたぬきの化かし合い~」

を見ていただいた方、誠にありがとうございました…!

 

拙者の渾身の仮装はいかがだったでしょうか?

もしかしたらば、まだ見ておらぬ方もいらっしゃるやもしれませんので、

詳しい内容は伏せさせていただきまするが、

気合と、魂を込めて此度準備を行いました…!

そして最後は「心」を連れて合戦に臨みました…!

皆様が楽しんでいただけたのならば感無量にございまする!

 

そして我らは、次の企画に向けてすでに動き出しておりまする!

来月は十一周年祭…!

此度の周年祭は十一の数に掛け、

十一の企画を用意しておりまする!

もちろん、我ら陣笠隊の企画もありまするぞ!

詳しきことはこちらを見るのじゃ!

11周年祭でござるよ!!!!
2020年11月3日、わたしたち名古屋おもてなし武将隊は、誕生から11周年を迎えます。 リモート、距離にさいなまれる一年でしたが、だからこそ、「気持ち」、「心」は近く寄り添い、繋がっていたい。その思いを、より一層強く感じています。 そんな気...

 

しかし、力んでばかりおっては身体が持ちませぬ…。

武将様はこんな時、どうやって息抜きをしていたんじゃろう?

早速、学んで参りまする!

 

可児才蔵吉長様

 

此度拙者が学ばさせていただくのは、「笹の才蔵」こと

可児才蔵吉長様

(かにさいぞうよしなが)様

にございまする!

 

天文二三年(一五五四年)美濃国可児郡にて誕生。

才蔵様は、武勇に秀でたお方で、

誠に多くの戦場を渡り歩かれ、

その先々で多くの武功を立てられておりました。

 

しかし、戦の才能に溢れられていても、

時代の流れは才蔵様のお味方はされませんでした。

才蔵様が仕えられてきた、

斎藤龍興様、

明智光秀様、

柴田勝家様、

織田信孝様、

皆様いずれも非業の死を迎えられてしまい、

出世をし大名になるという夢は遂に叶うことはございませんでした。

 

「笹の才蔵」

 

才蔵様と言えば

「笹」の二つ名にございまする!

 

なぜ、才蔵様が「笹の才蔵」と呼ばれるのかというと、

才蔵様はいつも行軍の際、道端で切り取った「笹竹」を

旗印として背中につけて戦に臨んでおりました。

 

ある戦での「首実検」の際、

(※「首実検」とは戦場で討ち取った敵の首を、

その者の首かどうか、大将が自ら検査したこと。)

三つの首を持ってその時の大将、森長可様の前で、

「十六の首を捕り申した。」

と言われました。

しかし、才蔵様が持っている首の数は三つ…、

本当に十六もの首を捕ったのか長可様が疑われていると、

「捕った首が多くて、捨て申した。

ただし、捕った首には、笹の葉を含ませて置いて参った」

と言われ、早速調べさせると、

笹の葉を含んだ十三の首が見つかったのでございまする。

 

この時から、才蔵様は「笹の才蔵」と呼ばれられるようになるのでございまする。

 

笹の晩年

 

時世が味方せず、出世に恵まれなかった才蔵様に、

最期の好機が訪れまする。

 

それが、天下分け目の大戦

「関ヶ原の合戦」

にございまする…!

この時すでに才蔵様は四十七歳…!

 

この関ヶ原の合戦で才蔵様は、

豊臣秀吉様の子飼いの武将様であらせられた、

福島正則様陣を借りられることとなりまする。

 

才蔵様は、寄る年波に負けることなく、

緒戦の岐阜城攻め、そして、関ヶ原の本戦にて、

合わせて二十の首を捕られるのでございまする…!

 

この武功により、戦の後、正則様の家臣に召し抱えられ、

晩年を過ごされるのでございました。

 

「我は愛宕権現(あたごごんげん)の縁日に死なん」

 

才蔵様は、

「愛宕権現」様

を深く信仰していました。

 

愛宕権現様は、甲冑に身を包み、

馬にまたがり、

右手に錫杖、

左手に宝珠を持って、

出陣している姿をしておりまする。

 

愛宕権現様に祈れば必ず勝つと信じられており、

多くの武将様に信仰をされておりました。

 

そして、愛宕権現様の縁日が六月二十四日で、

この日に参詣すると千日分のご利益があると言われておりました。

 

才蔵様は、お年を召されてからも、甲冑を身にまとい、

武器を持ち、馬上での技は若いものをしのいだと言われておりまする。

 

そんな才蔵様は、

「我は愛宕権現の縁日に死なん」

と言われ、そのお言葉通り

慶長十八年(一六一三年)愛宕権現様の縁日に、

武具をまとって、薙刀を持ち、床几に腰を掛けたまま逝去されたと言われておりまする。

 

拙者も挑戦!

 

…息抜きをしようとしていた自分が恥ずかしゅうございまする…!

いつ何時も、己を戦いの中に身を置き、

武芸を磨き、精進をし続け、

「もののふ」として最後を迎える…。

これこそ武将様の鏡と言えるお姿にございまする…!

 

拙者も、息を抜かず、気力を保ったまま

十一周年祭を盛り上げていきとうございまするぞ!

 

それにしても、「笹」の二つ名格好いいですな…。

拙者も、こうした二つ名で呼ばれるにはどうしたらよいかのう…?

…例えば、名古屋城に来られた者たちに

その都度「どんぐり」を渡せば、

そのうち、「どんぐりの惣平」と呼ばれるかのう…?

…格好良くないな…。

…「石」はどうじゃ…?

…「猫」とか?

…やめておきましょうか。

 

小さい角

 

皆様、最後まで読んでいただき誠にありがとうございました。

小さい角(※つのでも可)でございまする。

ここは、拙者が現世にて学んだことで役立つしれないことを、

皆様にお伝えする場にございまする。

 

今回お伝えするのはこちら、

「襤褸」

皆様、読み方は分かりまするか?

答えは「ぼろ」にございまする。

 

「襤褸」とは

・使い古して役に立たなくなった布

・つぎはぎのきたならしい衣服

のことにございまする。

この字は読めるようになっても書けませぬな…!

「ぼろ」のくせに字が複雑すぎる…!

ゆえに、書けることができれば自慢になるやも!?

 

小さい角(門)におる、小さい福も「襤褸」の字を練習中…!

皆様に良きことがありますように!

それでは、これにて失礼いたしまする。

陣笠隊惣平

 

コメント

  1. 相州姥桜 より:

    惣平さん、今晩は。
    此度もじっくりと読ませていただきました。
    可児才蔵吉長様…申し訳ありません(汗)初めてお名前を聞きました。
    それでも惣平さんのお話で素晴らしい方だとよくわかりました。主君には恵まれなかったかもしれませんが、沢山の戦を生き抜いてこられ最後に福島様に出会えたのでしたら終わり良しではなかったのでしょうかね。

    団栗の惣平さんも可愛くて好きですよ。

    ハロウィンの乱での仮装には感動しました!
    思わずコメントに「ありがとう惣平さん!」と書き込んでしまいました(笑)

  2. さち より:

    惣平さんこんばんは

    先日はハロウィンの乱、お疲れ様でした。皆様、個性を存分に発揮なさった中々見にできないお姿を拝見でき、とても楽しませて頂きました。

    十一周年祭もオンラインではなく、会場で参加できることがわかり、今からとても楽しみです!

    可児才蔵様…少し調べてみたら、戦国最強と書いてあるものもあり、とても強いお方なんですね。
    でも笹をくわえさせられるのはちょっと怖い!

    襤褸…見たことあったのに読めなかった…!
    本日も丁寧な日記帳の更新、ありがとうございました。
    良い夜をお過ごしくださいね( ᵕᴗᵕ )*・☪︎·̩͙

  3. 結月 里洋(ゆづき りょう) より:

    生き様、カッコ良くありたいですね(≧ω≦)

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