【 将軍実記〜家康問答〜 】

日記

唐突に始まる家康問答!

 

趣旨

 

徳川家康である

さあさ、皆の者よ

此度も我がしたためし書をよく読んでくれた

みなとこの電子日記帳にてやりとりができることを心から嬉しく思う

皆が健やかに日々を過ごせる事を祈っておる

 

 

 

 

前問答の答え

 

問:元和元年(1615)、江戸幕府が発布した「一国一城令」とは、どんな法令であったか

 

 

答:二、城は藩政の府として一つ残し、要塞(ようさい)としての他の城は取り壊すべし

 

 

慶長二十年(1615)六月に秀忠の名で発令されたのじゃが、立案したのは儂徳川家康である

これにより安土桃山時代には全国に三〇〇〇近く有った城が約一七〇まで激減したのじゃ

例外規定もあり、幕府の許可があれば複数の城を持つことができ、

また、この政策により領民の城下への集住が進み、流通が円滑となり、

経済的な面でも地方の発展に寄与したというのも見逃せんのぅ

 

 

。。。

 

 

 

 

 

問答

問:徳川政権の将来に亘る安定を図るため、

儂徳川家康の九男、十男、十一男を藩祖に後に御三家が設けられましたが、

御三家筆頭・尾張徳川家の藩祖となったのは誰じゃ

 

 

 

一、秀康

 

二、義直

 

三、頼宣

 

四、頼房

 

 

。。。

 

 

 

 

では答えは次回の発表であるぞ。心待ちにせよ。

 

 

 

 

家康

 

コメント

  1. Pちゃんママ より:

    大御所様
    先日はお寒い中、現世の寺子屋こと
    小学校へお出ましになり、出張授業をなさった由…お子さん達の反応も良く満足気なご様子 祝着に存知奉りました。
    さて此の度の問答のお答えは
    ニ、義直公にさせて下さいませ
    理由は徳川美術館にて、義直公に関する展示を拝見したから にございます。
    義直公は文武両道に秀でて、大御所様お気に入りの御子息であらせられた由…今少し早く生まれておられたら、あるいは将軍の座についたやも…と存知ました。
    先日は粉雪が舞い名古屋城も薄っすら雪化粧をして、お寒うございましたが大層風情がございました。
    金属製の甲冑は身体の熱を奪い取ってしまいます。
    大御所様に於かれましても風邪などお召しになりませぬようご自愛下さいませ。
    それではこれにて失礼致しましす。
    ご機嫌よう

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