書の道 〜国名編〜

日記

あいさつ

皆の衆!!

おはこんばんにちわじゃ!!

戦国一出世頭豊臣秀吉じゃ

名古屋も梅雨入り

ここ名古屋城にもが降り注いでおる

じゃが此度、土曜

はなく無事!

演武を行えた。

これも『日輪の子』であるわしのお陰じゃな

と、たたえ

誠に機嫌の良い太閤は

屋敷までの帰路、小踊りをするのであった

書の道 〜国名編〜

そんな冗談はさておき!!

此度も参るぞ

書の道!!!

此度は我らが主君!!

『織田信長様』が桶狭間の戦い後

に最初に手に入れられた国

『美濃』

じゃ!!!

それ、

それそれそれ

せいやぁぁあぁああ

ここで信長様が美濃攻略にあたる昔話を

遡ること、400年前…

 

信長様は海道一の弓取りと恐れられた

今川義元殿織田信長様は桶狭間の戦いにて敗る!

1560年永禄三年 519日である

おおよそ二万の軍勢を引き連れた今川義元殿に対し

織田信長様はわずか二千

絶望的戦力差を埋めたのは今川義元殿本陣を叩く奇襲作戦であった…

雨風の音に紛れ雷鳴の如く素早い行軍をした信長様今川本陣の者たちに眼前までその接近に気付かせず、そして!見事奇襲を成功させるのである!!そして今川義元殿の首を取り勝利を収めるのじゃ!!!

よ!

親方様!!日本一!!!

これが世に言う『桶狭間の戦い』

大どんでん返しじゃ!!!

その翌年

1561年永禄四年 511

美濃斎藤義龍殿急死、子の竜興殿が家督を継承。

義龍殿は戦上手故思う様に美濃を攻略出来ずにいた信長様は義龍殿の

そして義興殿の継承きっかけに一層美濃攻略に力を入れられるじゃ

ちなみに

永禄四年83日は

最愛の妻 可憐で、知的で、美しい

『おね』と結ばれた年でもある。

むふふ、今のおねも良いがなこの頃のおねもなかなか良いのじや思い出すだけでほほがゆるんでまう……

そして!!

同年、信長様は

北近江の浅井長政殿と同盟を結び。

信長様の妹君、『お市様』を輿入れさせるじゃ。

美しさ妖艶さの象徴であるお市様の輿入れ。わし秀吉、複雑なきも……

はっ!!

そんな話はさておき!!

への、そして斎藤家への牽制

浅井長政殿との同盟はとてもとても必要なものであったのじゃ!

流石は親方様!!

判断力行動力そしてそれを成功させるお力誠に見事でございまする!!

 

 

 

じゃが… 

この後、あの様な頃合いで同盟破棄されるとは、この頃は思いもしませんでしたな

ここまでが美濃攻略までの一部分である!!

まっと記したいのじゃが、長くなってまうでまたじゃ!!

今後

『書の道〜国名編〜』

書いた国名と

ゆかりある戦国期の歴史を振り返って参る!!

それではまた会おう!!

 

 

さらばじゃー!!!!

 

 

豊臣秀吉

コメント

  1. 相州姥桜 より:

    殿下!おは今晩にちはに御座います。

    信長様の美濃攻略に至る大スペクタクルから、おね様とののろけ話まで今回は盛り沢山で御座いますねぇ。
    踊舞さんが『てっくとっく』で信長様からおね様へのお手紙の話をされ、おね様が呟きで反応されておられたのでそのふぉろーでしょうか(笑)
    うっかり書の方を忘れるところでございました。
    堂々たる美にちょっと押され気味の濃ですが、殿下らしいのびのび(濃美濃美?)した文字で今回も爽快でございました。
    お見事に御座います。

  2. 結月里洋(ゆづきりょう) より:

    分かりやすい説明、ありがとうございます!

    やっぱり、おね様好きすぎますね♪

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