【唐突に始まる家康問答!】
趣旨
ようやく参ったこの時が
どうする家康年開始じゃ!
前問答の答え
問:慶長十年(1605)将軍職を秀忠に譲った儂徳川家康は、政治の実務に一定の距離を置くため、
慶長十二年(1607)に秀忠がいる江戸城とは別の場所に居城を移した
そこはどこじゃ
答:二、駿府城
正解者よ、大儀であった
応仁元年(1467)に勃発した応仁の乱を契機に幕府の権力は凋落(ちょうらく)し、
日本の国は下克上が蔓延(はびこ)る長い戦乱の世となったのじゃ
信長殿と秀吉殿も天下統一は果たしたものの、いずれの政権も
「為政者は善政を行わなければ存在意義がない」という誇りに乏しく、
儂徳川家康は信長殿、秀吉殿の轍(てつ)を踏まないよう体制を整えることが急務で、
自分に残された時間が少ない事をよく知っておった
慶長十年(1605)四月、
わずか二年で征夷大将軍の職を秀忠に譲り、政治の実務から離れたのは、
将軍職は徳川家の世襲である事を世の中に認識させ、
世の安定を図る事と、
平和国家樹立に向けたプログラム創りのためであった
。。。
第八十五問
問:将軍職を辞し、江戸城から居城を移した儂徳川家康が、自分の周囲に招き集めたのはどのよう
な人物たちだったであろうか
一、一族の菩提を弔うための高名な僧侶たち
二、平和国家を持続させるための外交から民政までの幅広い分野の専門家たち
三、武辺話を楽しむための苦楽を共にした譜代の三河の老臣たち
四、山海の珍味を堪能するための京・大坂の調理人たち
五、どうする家康
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では答えは次回の発表であるぞ。心待ちにせよ。
皆からの質問
加え、皆からの質問に一つ直々に答えようぞ
故に知りたきこと、解らぬ事が在らば聞け
此度はこの質問に答えようぞ
先日大御所様は日向国へ遠征なさった由、近年尾崎牛を始めとする宮崎牛や、浜松を凌駕する消費量と言われる餃子(豚肉ニラ)アゴ出汁の原料飛魚、空飛ぶ玉ネギと称される玉ネギや、生で皮ごと食する事の出来る金柑、日向夏の柑橘類、太陽の卵と称される甘熟マンゴー等々食材の宝庫と言われる日向国にございますが、大御所様が心引かれた食材(料理)は何でございましょうか?
答:よく心得ておるな
儂は尾崎牛の事を
唯一の生産者である者の名を関するこの美食を
儂は幾年か前からこの美味は江戸にて食して以来なかなか良いと思うておる
味だけではなく、和牛を護る観点においても
此度は、儂はやはり日向酒と日向夏が口に合うた
思いですだけで、再び口にしとうなるが粗食にあいつとめ、贅沢が楽しめるように待とうと思う
家康
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この問答企画で儂徳川家康を学び大河ドラマ“どうする家康”を百倍たのしもうではないか!
- 家康
コメント
異国の駅か美術館を思わせるような、天井にステンドグラス。
宮崎も良きところのようですね。
問答の答えは
二、平和国家を持続させるための外交から民政までの幅広い分野の専門家たち
といたします。
駿府にお移りになったと言っても、頻繁に動いておられた様子。
なかなか静岡へ行く機会もないのですが
駿府城以外でおすすめの場所や美味しいものは何かありますか?
秀吉様と清正様も再度甦られ、今後の活躍も楽しみにしております。
大御所様
新たに蘇られた秀吉様、清正様を迎へ三英傑、三英槍、陣笠隊と十名揃い踏みと相成った由…祝着至極に存知ます。
さて話は変わって早速ながら此度の問答のお答えにございますが
二、平和国家を持続させるための外交から民政までの幅広い分野の専門家達にございましょうか?
将軍の座こそ譲られたものの、実権は大御所様が握って居られたとか…とまぁそれはともかく、
近頃小説家伊東潤氏の「一睡の夢」と言う著書を読みました。
その中に「巳一代で終わってしまっては、それは信長、秀吉と同じ一睡の夢に過ぎない…」と言う一文がございました。
そうならぬような組織作りに心を配られ、二百年余に渡って続く平和国家を築かれた大御所様の偉大さを、改めて感じ入った次第でございました。
先日は日向国の珍しき食材や料理を堪能された由…その中で御口に合った食材として「日向酒」と「日向夏」を挙げておられました。二つの食材のうち「日向夏」は私も実際に頂いた事がございますが「日向酒」とは如何なるお酒にございましょうか?
もしや日向夏を使った果実酒では?
気になった故、質問させて頂きました。
家康様
二番 平和国家を維持するための〜
で、お願いします。
三番かと迷いましたが。