織田家臣団30人毎日紹介 ~弥助編~

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皆の衆、こんばんはじゃ!
豊臣秀吉である!

儂、豊臣秀吉が織田家臣団30人を毎日紹介する日記帳
此度は弥助殿について紹介して参る!

弥助殿の概要

弥助殿は、
ヴァリニャーノ殿と言う宣教師が信長様に謁見する際に従者として連れてきた異国の者である。
その時の齢は26から27であり、信長様の生涯を纏めた書物「信長公記」には、
切支丹国より、黒坊主参り候」と記されており、「十人力の剛力」と身体の大きさや弥助殿の身体の黒さなどの描写が載っておるんじゃ。

そんな黒き身体を見た信長様はそれを肌とは思わず、汚れだと思い弥助殿を風呂へと入らせた。
しかし風呂から上がった弥助殿は入る前と同じ黒色であったが為に
信長様はようやく肌の色だと認識したのじゃ。
それが引き金となって信長様は弥助殿を気に入り、ヴァリニャーノ殿に直接、
「家臣にしたい」
と交渉をし、晴れて信長様の家臣となったわけである。
(その際に「弥助」と言う名をつけられた)

その後、弥助殿は信長様に従い、甲州征伐などにも参戦しておるのじゃが、
本能寺の変にて信長様が倒れられた後に行方をくらました。

明智光秀殿の軍に捕まり、一時的に南蛮寺へと預けられたのじゃが、そこからの情報は全くと言って良い程ない。

儂が聞いた噂では、信長様の首を持って行ったのは弥助殿であると聞いたんじゃが、
真相はどうなんじゃろうなあ。

弥助殿を秀吉が褒める

 

弥助殿と言えば唯一、信長様の家臣で異国出身だと言うこと。
儂も信長様のお傍におったのを見ておるが、弥助殿は異国の者だで背がどえりゃあ大きかった。
現世に蘇った利家と同じ程の背丈があった、と儂は記憶しておる。
故に信長様が家臣として取り立てた理由の1つとして、信長様自身の大きい盾になると思ったからなんじゃろう。

この現世では利家が盾になっとるみたいなものじゃが。

まとめ

さて此度の日記帳は以上である!
弥助殿のその後については似たような者の記述がたくさんある故にこの現世では良く一緒になって話す者も少なくはない。

故にこの日記帳を読んでいる者たちは書物をちゃんと読み、間違った情報を入れぬように。

弥助殿は信長様が倒れられた後はまた宣教師に付いて行き、自身の国へと帰ってしまわれてのかもしれぬな。

次回は大嶋光義(雲八)殿について紹介致す!

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