織田家臣団30人毎日紹介 〜毛利新介編〜

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皆の衆、こんばんはじゃ!
豊臣秀吉である!

儂、豊臣秀吉が織田家臣団30人を毎日紹介する日記帳
此度は毛利新介(良勝)殿について紹介して参る!

毛利新介殿の概要

毛利新介殿は、
信長様の馬廻り衆として仕えた者である。

永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いでは、
一昨日紹介した服部小平太殿が今川義元様を斬りつけたが反撃に合い負傷。
そこに新介殿が駆けつけ、義元様の首を取り名を上げたんじゃ。

そして桶狭間の戦い後に諱を良勝と名乗り、通称も新介から新左衛門に改めておる。

また母衣衆が選抜された時に「黒母衣衆」の1人に任命され、信長様を直接お護りしておった。

その後も多くの戦に信長様の護衛として出ておったんじゃが、
本能寺の変にて信長様の嫡男、信忠様を二条御所にてお護りし明智殿の軍と奮戦したが
信忠様と共に討死してしまったんじゃ。

毛利新介殿を秀吉が褒める

新介殿は一昨日紹介した小平太殿と共に桶狭間の戦いの話の際に紹介されることが多い。

故に現世の者たちはその話の時にしか聞かないと思うが、2人はちゃんと信長様の傍におり、
多くの戦で儂らとともに戦っておったんじゃ。

また、新介殿は本能寺にて自身の主君を護り抜き、
最後は共に戦死するという武士にとっては天晴れな生き方をした。

故に儂は新介殿も主君の為に生きた真の武士と思うておる。

まとめ

さて此度の日記帳は以上になる!

この現世では桶狭間の戦いでしか名を見ることのない新介殿。
しかしながらこの者も信長様が若き頃よりお仕えしていた者。

故に名前だけでも覚えてほしい。

次回は弥助殿について紹介致す!

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