皆の衆!
こんばんはじゃ!
豊臣秀吉である!
此度の日記帳は『愛知の神社巡り』第七弾
『若山八幡社』について紹介して参るぞ!!
いざ!!
名古屋総鎮守 若宮八幡社
白川公園の近く、名古屋市中区に建っておるこの神社。
創建は天武天皇の時代、又は大宝年間に那古野庄今市場(今の名古屋城三の丸内)に
創建されたと伝わっておるんじゃわ。
元々は天王社(今の那古野神社)に隣接をしておった神社であったんじゃが、
信長様のお父上であらせられる織田信秀様が那古野城を攻めた際に社殿などの全てが焼失をしてしまった。
その後の天文8年(1539年)に信秀様によって再建されておる。
そしてこの神社。
儂にも深く関わりがあってだな。
儂もこの若宮八幡社に200石を寄進しておるのじゃわ。
この神社の祭神は、
八幡社(八幡宮)ではお馴染みの応神天皇。
じゃが、ここの神社の表記を見ると応神天皇は二柱に鎮座されておるのじゃ。
では一柱は誰か。
そう、仁徳天皇なのじゃわな。
この仁徳天皇というお方は、応神天皇の孫にあたるお方。
故にここでは孫を一柱として祀り、次に祖父である応神天皇を祀っておるっちゅうわけじゃな。
そして三柱は武内宿禰。
皆、あまり聞いたことがない名前じゃろ。
じゃが実はこのお方、日ノ本の紙幣の顔にも1回だけなっておるんじゃぞ?
このお方は景行天皇から先ほど説明した仁徳天皇まで仕えた方。
しかし景行天皇から仁徳天皇までにはどえりゃあ月日が流れとるもんで、
このお方の存在は伝説上の扱いとなっておる。
亡くなったのも300を超えてからということでそれも合わせて伝説になっとるんじゃわな。
現世での見解では、
『武内宿禰』というのは役職であり、この名を世襲していった者たちの歳を合わせたのではないかと言われているのじゃ。
そんな3人の神を祀っておる若宮八幡社。
徳川殿の治世になると、名古屋城を築城した際に現在の位置へと鎮座することとなった。
そしてその後は尾張徳川家の氏神となり、また名古屋の総鎮守として崇敬されるようになる。
また尾張藩2代藩主の徳川光友が社殿の造営を行って、社領100石を寄進されたのじゃ。
じゃが先の大戦にて光友が造営した社殿は焼失してしまったのじゃが、
昭和32年(1957年)にまた再建をして、今の形があるのじゃ。
まとめ
此度の日記帳は以上で終いじゃ!
名古屋城築城に関わっておるこの八幡社。
5月〜6月頃にかけては紫陽花もどえりゃあ綺麗に咲くで、
良かったら訪れてみてちょ!!!
次回は「三輪神社」について紹介致す!
あくせす
名古屋市市営地下鉄 鶴舞線「大須観音駅』
名古屋市市営地下鉄 名城線「矢場町駅」
共に徒歩5分
ばっくなんばあ
尾張国三宮 熱田神宮
尾張国二宮 大縣神社
尾張国一宮 真清田神社
天王総本社 津島神社
清洲山王宮 日吉神社
末森城跡 城山八幡宮
コメント
神社の紹介ありがとうございます。
城より神社の方が興味があるのでうれしいです。
若宮八幡社は毎月1日の御朱印が人気です。それを狙ったわけではなく、1日に行った事があります。
今の時期は風鈴まつりで風鈴がたくさん下げられていて涼しげな感じで良いです。
水みくじもあります。
題の方に若山八幡とあるのは、若宮の間違いでしょうか?
三輪神社も御朱印が有名ですですね。次回も楽しみにしています。