【 将軍実記〜家康問答〜 】

日記

唐突に始まる家康問答!

 

趣旨

 

さあさ、皆の者よ

此度も我がしたためし書をよく読んでくれた

今までは、大河を祝し我が人生にまつわる問答をもとに繰り広げておったが

皆の要望もあり、続けることとなった

故に、これよりも我が人生を通じて主らの生きる手助けになれば幸甚である!

 

 

 

 

前問答の答え

 

問:北条氏との戦はこの城に対する包囲戦で、周囲の支城を除けば戦らしい戦はなかったが、唯一、夜襲により篠曲輪を破り惣構の中に攻め入って開城を早めた徳川四天王の一人はだれであろうか

 

答:一、井伊直政

 

 

 

天正十七年(1589)十一月に北条氏直に最後通牒(つうちょう)を突き付けた秀吉殿は、先鋒を儂徳川家康に命じた

 

井伊直政も先手の一人として出願し、箱根ニ子山の険しい山道を抜け、小田原城の北に位置する宮城野から小田原城の東を攻めたのじゃ

 

 

また、周辺に点在する砦を攻め、小田原城の包囲網を強固なものとしたのである

 

天正十八年(1590)六月二十二日には篠曲輪に夜襲をかけ、北条軍三百余人を討ち取り、長引く包囲戦の中で弛緩(しかん)した北条軍を震え上がらせ、七月五日の降状から開城へとつながる武勲を挙げたのじゃ

 

この時、井伊直政は気力の充実した三十歳の働き盛りを迎えておった

 

 

。。。

 

 

 

問答

 

問:天正十八年(1590)、儂徳川家康の関東移封にともない、上野国箕輪(群馬県高崎市)十二万石の大名となった徳川四天王はだれじゃ

 

 

 

一、井伊直政

 

二、酒井忠次

 

三、榊原康政

 

四、本多忠勝

 

 

。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では答えは次回の発表であるぞ。心待ちにせよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

家康

 

コメント

  1. 善か朗 より:

    この度の問答は 三、榊原康政 さま でしょうか?
    消去法でいってみました。

    ラジオも拝聴いたしました。
    偉キャラ総選挙も毎日投票しておりましたのに、残念でした。
    中間発表とはメンバーが入れ替わっておりましたね。
    何がもらえたのか気になるところですが。

    もう暦の上では秋だそうですが、全く秋の気配が見えません。
    ただ台風はやってくるそうですので、地震と合わせて不安材料の一つです。

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