皆々、息災であるか
前田又左衛門利家である。
此度の日記帳は100名城の旅、二十六城目である。
いざ参らん!
弘前城
此度紹介致すのは弘前城である。
弘前城は現存十二天守の一角にして、最北端に位置する城じゃ!!
そして実に多くの建物が現存しておる。
魅力あふれる弘前城を早速みて参ろうではないか!
交通・行き方
JR『弘前駅』より弘南バス殿の弘前市内循環100円バスに乗り換えじゃ。
バス停『弘前駅』にて乗車し、『市役所駅』にて下車し歩いて五分じゃ。
弘前駅から徒歩でも30分ほどだで、街並みを楽しみたいものは歩くのも良いであろう。
百名城スタンプの在り処
弘前城の二の丸にある弘前城情報館にていただくことができる。
ここに辿り着くまでに様々な見どころがあってすでに満足しておるであろうが忘れずに押すようにいたせ。
弘前城の歴史
弘前城が築かれたのは関ヶ原の戦いの後の1603年。
築城者は領主の津軽為信殿である。
津軽家は元は東北に大きな領土を持つ南部家に関わりのある家だったのじゃが後に対立し、秀吉の天下統一の最終工程である奥州仕置の折に秀吉にこの地の支配を認められた背景がある。
為信殿は権謀術数を用いて勢力を拡大した乱世の申し子じゃ。
弘前に移る前は大浦城や堀越城を居城しておったのじゃが、関ヶ原の戦い後に軍事面に優れる弘前の地に新たに城を築いた次第である。
然りながら為信殿は築城を開始した翌年に亡くなった為に、後を継いだ信枚殿の代に完成することとなった。
元々はこの地の名前から鷹岡城と呼ばれておったのじゃが、信枚殿がこの地を弘前と改称し弘前城と呼ばれるようになっていったのじゃ。
はじめは五層六階建ての大きな天守構えておったのじゃが、天守に雷が落ち天守に備えておった火薬に引火し大爆発を起こして消失。
その後長くにわたって天守のない時代が続いたのじゃが、江戸時代の後半になってから天守の代わりとなる三重櫓の新築を幕府の許可を受けて築き、これが今に残る現存天守である。
見所
見どころはなんと言っても現存天守。
それは無論のことじゃが、
他にも三つの櫓に五つの門も現存しておる!
門は櫓門、櫓は三重櫓でそれぞれが実に大きく立派なものじゃ。
じゃが、水堀跡と土塁や
復元された橋や屋敷跡など多くの見所がある!
城郭の多くが残っておって公園として整備されておるで、城の全貌の様子も掴みやすい城でもある。
時間に余裕を持ちゆるりと見ることを勧めるわな!
蛇足
弘前城は如何であったか!
弘前城は現存天守を含めた建造物、公園として整備されておる故に縄張りの保存状態、交通の良さとどれをとっても良い城である。
現存12天守の一つと現存12三重櫓のうち3つを持つ非常に重要な城でもあるで一度は足を運んで欲しいのう。
弘前城は桜の名所としても知られておって、2600本を数える桜が一斉に咲く様は実に美しいと聞き及んでおる。
桜の名所100選にも選ばれておるで、桜を目的に参るも良いであろう。
因みにであるが城内には植物園があって春夏秋冬、様々な草花を楽しめるで合わせて楽しむも一興である。
わしが言った頃はまだ天守が移設され、本丸の石垣が修繕の最中であったが、石垣の修繕は今年中に完了予定で、天守も来年には元の位置に戻ってくる予定だそうじゃ。
今しか見えぬ工事中の姿を覗きにいくも良いし、完成したのちに観にいくも良い!
わしの勧めはどちらもいくことじゃがな!
最後にわしの気に入りの写し絵を載せて此度の100名城巡りの旅は以上といたそう。
次の日記帳も100名城巡りである。
楽しみに待っておれ、
さらばじゃ!
コメント
利家さま
おはようございます
日記の更新ありがとうございます
載せていただいた多くの写真を見たら実際に見てみたくなります
天守はもちろんのこと櫓門や櫓の現存は魅力たっぷりです
今しかない工事中の姿、完成後の姿の両方のお勧め考えちゃいますね
利家さまのお気に入りの写し絵ありがとうございます
同じところから見られるのが一番です(^^ゞ
次の百名城も楽しみに待ってま~す
利家様おはようございます!
ついに来た名古屋まつりの当日!に日記帳を見つけ今コメントしています
お写真の空がどれも綺麗で今日もこうだったらなぁと思わずにはいられません笑
弘前城、綺麗に整備されてとても美しいですね。桜の季節はさぞかし素晴らしい景観にと想像出来ます。行ってみたいなあ
いつの日か私が行く時には石垣も修復されているでしょうから植物園含め一日ゆっくりするのも良いですね
行きたい場所が増えるのは嬉しいです♪♪
それでは!次回も楽しみにしてます