【唐突に始まる家康問答!】
趣旨
さあさ、皆の者よ
此度も我がしたためし書をよく読んでくれた
今までは、大河を祝し我が人生にまつわる問答をもとに繰り広げておったが
皆の要望もあり、続けることとなった
故に、これよりも我が人生を通じて主らの生きる手助けになれば幸甚である!
前問答の答え
問:天正十八年(1590)、儂徳川家康の関東移封にともない、上野国箕輪(群馬県高崎市)十二万石の大名となった徳川四天王はだれじゃ
答:一、井伊直政
井伊直政の箕輪移封と十二万石という高禄は、秀吉殿の上意により決められたのじゃ
奥州攻略の一環として、儂徳川家康はもとより、徳川三傑も秀吉殿の軍略の一翼を担わされたのである
翌天正十九年(1591)の奥州九戸城(岩手県二戸市)攻めには儂の名代として参戦し、勝利に大きな貢献をいたした
秀吉殿は直政の戦功を称賛し、戦後の奥州の処置を任せたことからも、その働きが大きかったことがうかがえるのぅ
。。。
問答
問:文禄元年(1592)、豊臣秀吉殿による朝鮮出兵(文禄の役)のとき、加藤清正はその武勲にあやかろうと、徳川四天王の一人の馬印「桔梗笠」を借りて朝鮮に出陣した。
その四天王とはだれのことであるか
一、井伊直政
二、酒井忠次
三、榊原康政
四、本多忠勝
。。。
では答えは次回の発表であるぞ。心待ちにせよ。
家康
コメント
大御所様
立秋とは名ばかりの厳しい暑さが続いておりますが、息災であらせられる由…祝着至極に存知ます。
さて早速にございますが此度の御下問のお答えは
三、榊原康政様にございましょうか?
理由は少し前の「歴史人」なる月刊誌(「歴史街道」と銘打った月刊誌と共に定期購読致しております)に掲載されていたからにございます。
書も大変お上手で居られ、諱に大御所様の康の一文字を与えられた康政様は、四天王の中でも文武両道の優れた武将様でございましたな。
ではまだ今暫くは厳しい暑さが続く由…
大御所様に於かれましても体調等崩されませぬよう、御自愛下さいませ。
それではこれにて…ご機嫌よう…
大阪のお城のイベントも盛況だったようですね。
岡崎の殿が出立との報がありました。名残惜しいものでございます。
お二人揃ってのお姿、また拝見できる機会があるでしょうか?
この度の問答も分かりませぬゆえ
傷を負わず無事に生還できるようと願って
四、本多忠勝 様といたします。
まだまだ長月も暑いとの噂を聞いております。
今は秋が待ち遠しい毎日です。