【 将軍実記〜家康問答〜 】

日記

唐突に始まる家康問答!

 

趣旨

 

さあさ、皆の者よ

此度も我がしたためし書をよく読んでくれた

今までは、大河を祝し我が人生にまつわる問答をもとに繰り広げておったが

皆の要望もあり、続けることとなった

故に、これよりも我が人生を通じて主らの生きる手助けになれば幸甚である!

 

 

 

 

前問答の答え

 

問:儂徳川家康と同年の三河の武士で駿府での人質時代から従い、儂の長男・信康事件の際は傅役(もりやく)として自分の首と引き換えに信哉を守ろうとしたが叶わず、後年は犬山城主となり、儂徳川家康の八男・仙千代を養子に得るほど信頼された三河武士は誰じゃ

 

 

答:二、平岩親吉

 

 

 

平岩親吉は、儂徳川家康の関東移封に伴い上野国厩橋(群馬県前橋市)三万三千石の大名となり、関ヶ原の合戦後は甲斐国甲府(長野県甲府市)六万三千石に移封加増しておる

 

慶長八年(1603)に儂の九男・義直に付属され、同十二年に義直が尾張清洲五十四万石で立藩すると、犬山九万三千石を領したのじゃな

 

義直の生誕は慶長五年であるから、儂は幼い息子の教育を平岩親吉に託したのじゃ

 

没したのは儂徳川家康より五年早い慶長十六年(1611)。享年七十歳と常に儂に寄り添う人生を送ったのである

 

 

 

。。。

 

 

 

 

問答

問:儂徳川家康の九男・義直が尾張藩主となると、その付家老として寺部城主(豊田市)となった儂と同年の三河武士で、服部正成の「鬼半蔵」に対し「槍半蔵」と呼ばれた槍の名手はだれじゃ

 

 

一、鳥居元忠

 

二、平岩親吉

 

三、本多忠勝

 

四、渡辺守綱

 

 

。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では答えは次回の発表であるぞ。心待ちにせよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

家康

 

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