【 将軍実記〜家康問答〜 】

日記

唐突に始まる家康問答!

 

趣旨

 

徳川家康である

さあさ、皆の者よ

此度も我がしたためし書をよく読んでくれた

みなとこの電子日記帳にてやりとりができることを心から嬉しく思う

皆が健やかに日々を過ごせる事を祈っておる

 

 

 

 

 

前問答の答え

 

問:天正十三年(1585)、儂徳川家康の家老で岡崎城代の重臣·石川数正が、突然、秀吉殿のもとに出て行った

秀吉殿に徳川の軍法を知られてしまうため、儂はこれまでの軍法を大きく変えたのじゃが、どの戦国武将の軍法をみならって取り入れたのであろうか

 

 

 

 

答:四、武田信玄

 

 

 

儂徳川家康はみならうべき武将、武田信玄殿の軍法を取り入れたのじゃ

 

当時の豊臣と徳川の関係は非常に危険な事態に陥っておった

 

徳川方は長久手で勝利したことから、「秀吉何するものぞ」という気分が家臣団にも充満しておりその危険を考えた数正が秀吉殿のもとに赴いたのであろう

 

以後、朝日姫との結婚や大政所の岡崎下向など、秀吉殿が折れておるからのぅ

 

 

。。。

 

 

 

 

問答

問:妹を嫁に出しても大坂城に来て臣下の礼をとらない儂徳川家康に対し、秀吉殿は妹の見舞いと称して母・大政所を人質同然に儂のもとに送ったのじゃが、

大政所と対面した城はどこであろうか

 

 

 

一、大坂城

 

二、岡崎城

 

三、岐阜城

 

四、浜松城

 

 

。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では答えは次回の発表であるぞ。心待ちにせよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

家康

 

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