【 将軍実記〜家康問答〜 】

日記

唐突に始まる家康問答!

 

趣旨

 

徳川家康である

さあさ、皆の者よ

此度も我がしたためし書をよく読んでくれた

みなとこの電子日記帳にてやりとりができることを心から嬉しく思う

皆が健やかに日々を過ごせる事を祈っておる

 

 

 

 

 

前問答の答え

 

問:武家政治を学ぶため、儂徳川家康が手元に置いて愛読していた本で、鎌倉幕府が制作した歴史書はなんじゃ

 

 

答:一、吾妻鏡(あづまかがみ)

 

 

 

鎌倉幕府を開き武士政権を確立させた源頼朝様を尊敬する儂徳川家康は、

慶長九年(1604)に『吾妻鏡』(鎌倉幕府が編纂した歴史書)の写本の一つを入手すると、

自身の愛読書とするだけでなく、

翌年には伏見版の木活字を用い、

タイトルを『東鏡」とした『新刊吾妻鏡』の出版を行ったのである

 

領地をもち領民を支配する大名や武士たちにもこの本に触れてほしかったのじゃ

 

儂の志はその後も受け継がれ、版木版の吾妻鏡も出版されたのであった

 

 

 

。。。

 

 

 

 

 

問答

問:慶長三年(1598)、第二次朝鮮出兵中に秀吉殿が亡くなり、儂徳川家康は、朝鮮で戦っていた兵をどうしたであろうか

 

 

 

 

 

一、急いで総攻撃をさせた

 

二、すぐに引きあげさせた

 

三、そのまま守らせた

 

四、武将たちの自由にさせた

 

 

 

 

。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では答えは次回の発表であるぞ。心待ちにせよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

家康

 

コメント

  1. 宇佐真 より:

    大御所さま、尾張国はまた猛暑がぶり返すとの由、お体ご自愛くださりませ。

    此度の問答の答えは
    二、すぐさま撤退させた
    でしょうか。
    8月に太閤殿が入寂され、10月に撤退の通達、11月に撤退完了、しかも撤退を阻まれたり太公殿の死去を気取られたり、スムースにはいかなかったように思います。
    大御所さまはその後和平交渉にあたられるなど、戦後のご苦労は計り知れないと存じます。

    世間は盂蘭盆ですが、大御所さまはじめ武将隊の皆さまは連日のおもてなし、無理なさらぬようお過ごしください。
    私事ではありますが、盂蘭盆中、徳川園にて行われる地元高校生による伝統芸能披露のお手伝いに、徳川園に参らせていただく予定です。14日、犬山高校のからくり文化部の生徒たちが人形からくりと能楽の演舞を行います。
    お心に留めていただけますと、犬山城下で伝統継承に励む高校生たちもよろこびます。

    本日も他の高校の生徒の披露がごさいますが、15、16日もそれぞれ予定しております。

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