【唐突に始まる家康問答!】
趣旨
徳川家康である
さあさ、皆の者よ
此度も我がしたためし書をよく読んでくれた
みなとこの電子日記帳にてやりとりができることを心から嬉しく思う
皆が健やかに日々を過ごせる事を祈っておる

前問答の答え
問:関ヶ原の合戦の最中、どちらに味方するかはっきりしない西軍小早川秀秋に、儂徳川家康はあることをして東軍に寝返りをさせたのじゃが
あることとはなんであろうか
答:二、小早川軍の陣地に鉄砲を撃ちかけた
小早川軍が布陣していたのは合戦の要となる場所であった
儂徳川家康に味方すると約束したのじゃが小早川軍は動かなかった
西軍側に付くのなら先ず小早川軍を殲滅(せんめつ)するという意思表示として鉄砲を撃ちかけたのじゃ
これにより小早川軍は意を決し東軍側として石田三成の西軍に攻めかかったのである
これにより関ヶ原の合戦は大きく動き、戦の大勢は決まった
関ヶ原の合戦の勝利は儂の瞬時の決断が大きく作用したといわれる所以である
。。。

問答
問:関ヶ原の合戦で勝利した儂徳川家康は、味方した大名に領地を分けたのじゃが、たくさん領地を与えたのはどのような大名であったか
一、徳川家や松平家の一族
二、三河武士
三、関東の大名
四、 豊臣家の家臣だったのに家康公に味方した大名
。。。

では答えは次回の発表であるぞ。心待ちにせよ。

家康


コメント
広島遠征お疲れ様でございました。
楽しかったようでよかったです。
この度も高速鉄籠が止まって大変でしたね。
この度の問答は 四、 豊臣家の家臣だったのに家康公に味方した大名
古参家臣から不満の声があがったのでは?と思われますが
領地が広くても遠方であり、古参家臣は身近な地へ留め置かれた、
であったような記憶がございます。
大御所様
安藝広島への遠征
お疲れ様にございました。
天候や交通網の乱れに肝を冷やしましたが、無事にご帰還遊ばされた由…祝着至極に存知ました。
さて今回の御下問のお答えですが
四、豊臣家の家臣だったのに、家康公の味方をした大名
にございましょうか?
理由は某ドラマにて拝見したからにございます。
福島正則公や加藤清正公等 戦で大手柄をあげた有名所の大名でさえ後に改易の憂き目に遭うのですから…戦国大名による領国経営は精神的にも気しんどい事が多々あった事かと拝察致しました。