皆々、息災であるか
前田又左衛門利家である。
此度の日記帳は100名城の旅、
四十三城目である。
此度紹介致すのは
日ノ本に四つ。
或いは二つしか残っておらぬ、
とある現存の建築をもつ質実剛健の城である!
いざ参らん!
川越城
此度紹介致す城は川越城。
別の名を初雁城と申す。
この地にあった杉の木に初雁が飛来したことがその名の由来となっておる。
そんな初雁あるいは川越城は、
本丸御殿が現存する数少ない城の一つじゃ!
本丸御殿が現存しておるのは川越城と高知城の二城。
二の丸御殿が現存するのは掛川城と二条城であるから、
いかに貴重かがわかるじゃろう。
それでは早速、
川越城について見てまいろうではないか!
交通・行き方
西武新宿線『本川越駅』より歩いて20分。
JR『川越駅』からバスに乗れば歩く時間を短くすることも叶う。
何やら本丸御殿なるバス停があるそうじゃから、迷うこともなかろう。
因みにわしはJR『川越駅』より歩きて徒歩40分ほどであったぞ!!
百名城スタンプの在り処
印判は川越城本丸御殿にて押すことが叶う!
わかりやすいところにあるで押し忘れることもなかろう!!
川越城歴史
川越城を築いたのは戦国初期随一の英雄・太田道灌殿である。
源頼朝様が鎌倉に幕府を開いて以来、関東は武士にとって肝要な土地であって、
戦国時代数多の勢力がぶつかりあっておった。
戦国初期においては、鎌倉の支配を室町幕府より任された鎌倉公方の足利家とその補佐を務める関東管領の上杉家が争っておったのじゃ。
道灌殿によって築かれたこの城は、
横矢がかりや食い違い虎口など頑強な守りの機能を備えた城であった。
鎌倉公方と上杉家の戦いが収まった矢先に今度は上杉家内での争い・長享の乱が始まり、川越城は扇谷上杉家の前線の拠点となったのじゃ。
そんな中、北条家が勢力を拡大し大きく情勢が動く。
北条家は力を失った上杉領を攻め江戸城とともこの川越城も奪い、以降北条家の武蔵攻めの前線拠点となったのじゃ!!
上杉家が今川家や武田家と結んで北条を攻めた折には、
60,000とされる上杉軍に対し川越城はの兵は3000。
にも関わらず北条随一の名将で北条綱成殿が半年に及ぶ籠城戦を展開し。
綱成殿の粘りによって北条家の本隊が駆けつけ、上杉の連合軍は大敗。
これが日ノ本三大奇襲に数えられる『川越野戦』である。
川越城は北条家家臣・大道寺政繁らによって改修が施されるのじゃが、
例の北条征伐によって開城。
我が軍勢によって管理されておる。
これまた例の徳川殿の関東入りに伴って重臣酒井家が入り、江戸時代においては家が変わりながらも常に親藩が治める地となったのじゃ。
江戸の北に位置する川越城は江戸幕府最後の砦として重要な城であったわけじゃな。
見所
川越城一番の見どころは、

無論、現存する本丸御殿である。
大きな玄関口に長い廊下、

格式を示す大広間、実に立派な建築である。
この御殿は川越城の政庁としてではなく、
名古屋城の本丸御殿と同じく将軍家を迎えるための施設として普段は使われなかったものじゃ。
中には展示や案内文も数多あるがゆえに大いに楽しめるであろうな!
御殿を出ると本丸の門跡や、
富士見櫓跡

太田道灌殿の像

中ノ門堀跡がある!!

そしてわしの気に入りは、この中ノ門堀。

川越城内で唯一の空堀でな、
見飽きぬ美しい土の堀であった!
蛇足
川越城は如何であったか!!
誠に貴重である現存御殿を持つ城として、必ず訪れてほしい一城じゃ。
都市部からも程近く、江戸や相模に住まうものには誂え向きの行きやすい城でもあるから、皆に訪れてほしいところであったわ!!

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