【唐突に始まる家康問答!】
趣旨
徳川家康である
さあさ、皆の者よ
此度も我がしたためし書をよく読んでくれた
みなとこの電子日記帳にてやりとりができることを心から嬉しく思う
皆が健やかに日々を過ごせる事を祈っておる

前問答の答え
問:慶長二十年(1615)大坂夏の陣が終わると、慶長という元号が、儂徳川家康の意向により「平和の始まり」を意味する元号に変わったのじゃが、
その元号とは何であろうか
答:二、元和
大坂夏の陣が終わった時、儂徳川家康は元号を「和」の「元」として「元和」に改め、平和な時代の到来を「元和偃武」として天下に宣言したのじゃ
偃武」とは、『書経』の中にある「偃武修文」から採り、「武器を納めて文を修める」、つまり、戦いをやめ、学問・教育により平和な世をつくるという意
味である
応仁の乱から百五十年も続いた戦争の時代の終結宣言は、武士に武から文への意識改革を求めるものであり、
平和な時代の幕開けを告げるものとなったのじゃ
。。。

問答
問:近江の国に生まれ、何度も主君を変えたことで知られる外様(とざま)の戦国武将でありながら、
危篤の儂徳川家康が枕辺に呼ぶほど信頼厚く、
二代・秀忠、三代・家光にも仕えた築城名人で初代伊勢国・津藩主となったのはだれであろうか
一、加藤清正
二、蒲生氏郷(がもううじさと)
三、雑賀孫市(さいがまごいち)
四、藤堂高虎(とうどうたかとら)
。。。

では答えは次回の発表であるぞ。心待ちにせよ。

家康

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