新太閤記 〜愛知の神社巡り「春日神社」〜

名古屋紹介

皆の衆!
こんばんはじゃ!

豊臣秀吉である!

此度の日記帳は『愛知の神社巡り』第八弾
『春日神社』について紹介して参るぞ!!

いざ!!

春日大社の分社 春日神社

名古屋市営地下鉄は名城線及び鶴舞線の上前津駅から降りて
三井住友銀行の建物がある横に鎮座するこの神社。

創建は天暦2年(948年)にこの大須一帯の郡司(こおりつかさ)であった
藤原某が大和国は春日大社から勧請して創建したとこの神社では伝わっておるとのこと。

この地域、現在では『大須』やら『上前津』やらと言われておるが、
古くは『前津』と呼ばれておってな。

古代に南側が海であったこと、そこに津(湊)があったことからこの名前がつけられたのじゃわ。

そもそも熱田神宮が建っておる辺り。
今は陸地となっておるが、我らの頃もまだ陸地ではなく海であった。

『七里の渡し』あるいは『宮の渡し』っちゅう石碑が
熱田神宮の近くにあるのは知っておるであろう?

東海道を歩いているものはここから舟に乗り、
伊勢国は桑名(現世の三重県桑名市)まで渡っておったのじゃ。

話が脱線したわな。

この春日神社の主祭神は春日大社と同じ武甕槌命(たけみかづちのみこと)。
大和国にこの神を祀ったのは藤原不比等公とされておる。

和銅3年(710年)の出来事じゃな。

この710年。
歴史が好きな者は何か思いあたるものがあるわな。

そう都が大和国は平城京に移った年。

この年に藤原不比等公は武甕槌命を御蓋山に祀り、平城京に守り神として奉った。

この御蓋山は現世では『春日山』とも言い、
ここにこの春日神社の総本社である『春日大社』が建っておる。

さあこの大須にある春日神社。
少しばかり謎めいたことがあるんじゃわ。

大須の地と言うと、この地にはもう一つ古くからある神社があった、と前回紹介したわな。

春日神社と三輪神社の関係

先程、この春日神社を創建したのは藤原某という者っちゅう話をした。
じゃが、この藤原某は藤原氏の誰かは分かっておらんのじゃ。

古くからこの地にあったのは間違いはない。
しかしながら神社というのは人の手で守らなければ廃れていくもの。

この春日神社も例外ではなかった。

しかしそんな廃れておったのを再建した男がおる。

それはこの地を治めておった牧長清という男。

三輪神社の中でも少しばかり触れたわな。
信長様の家臣であり、この大須の地にあった小林城の城主をしておった武士。

この者が春日神社を再建したと「愛知縣神社名鑑」には記されておるのじゃ。

ちいとばかり話が脱線するが、

この牧長清殿、大須にある神社には殆どと言って良いほど関わっておる。
また一説には牧長清殿がこの春日神社を勧請したとも記しておる書物もあるぐらい。

牧長清殿に関しては三輪神社にて少しばかり触れておるが故に、是非ともその記事も見てちょうよ。

この春日神社。

徳川家康殿によって名古屋城が築城されるとこの地、前津小林村も城下町に組み込まれる形となった。

ここで牧長清殿が再建(または勧請)した春日神社と三輪神社は
名古屋の街に必要な神社となったわけなんじゃわ。

蛇足

春日神社というと、大和国は奈良にある春日大社を思い浮かべるものが多い。
先ほども言うた様に春日大社は全国にある春日神社(または春日社)の総本社である。

春日大社の隣には、大和国で有名な東大寺も建っておって、
この辺り周辺を奈良公園として呼ぶっちゅうことも有名じゃな。

ではここで一つ、おみゃーさんたちに豆知識を授けよう。

奈良公園におる鹿たちは、実は東大寺の鹿ではなく、春日大社の鹿であるんじゃわ。

これを話すと良く驚かれるのじゃが。
春日大社の祭神、武甕槌命(たけみかづちのみこと)は白い鹿に乗ってこの大和国は春日大社がある場所にやってきた。
っちゅう伝説が残っとるが故、奈良公園には今でもたくさんの鹿が生息しておるのじゃ。

故にあれは東大寺が放し飼いをしておるわけではなく、
春日大社が奈良公園に放し飼いをしておるっちゅうわけなんじゃわ。

是非とも名古屋の春日神社、大和国の春日大社に一回は訪れてみてちょ。

まとめ

此度の日記帳は以上で終いじゃ!

次回は桜通りの由来となった「桜天神社」について紹介致す!

あくせす

名古屋市営地下鉄 名城線及び鶴舞線 「上前津駅」から徒歩1分

ばっくなんばあ

尾張国三宮 熱田神宮
尾張国二宮 大縣神社
尾張国一宮 真清田神社
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